もし満潮時に津波が来ていたら…

2011年3月11日の地震発生時刻は、牡鹿半島付近の海が干潮に近い時間帯でした。この日、満潮時と干潮時では90センチ以上の潮位差があり、仮に満潮時に同じ津波が来ていれば敷地に入っていた可能性もありました。

東北電力原子力部 八重樫武良副部長(当時):【2011年4月】
「13.8メートルのところに13メートルの津波が来ているわけだから、それが極端な話もっと上の2~3メートル高ければ当然(敷地高を)超えるわけで、どんな対策をとっても、それでもというケースも考えるべき」

越流しても大事故につながったとは限りませんが、楽観視するほどの余裕はありませんでした。

また、女川原発の外では道路の寸断などでいくつもの集落が孤立していました。

鮫浦地区 伊藤敏行区長:
「この辺に逃げたのかな」

女川原発から数キロの鮫浦地区もそのひとつです。伊藤敏行さんは、震災後しばらくの間「ある場所」で避難生活を送りました。