避難先は女川原発だった
女川原発から数キロの石巻市鮫浦地区の伊藤敏行さん。家族とともに逃げた先は女川原発の体育館でした。受け入れに感謝していますが不安もあったと話します。

鮫浦地区 伊藤敏行区長:
「だって行くところがないから、行くしかない。でもバスで(原発敷地に)下りて行った時に燃料タンクとかゴロンとひっくり返っていた。うちの息子も原発の衛星電話で『原発に逃げて大丈夫なのか』と。でも行くところないからさ」

女川原発の体育館には一時、周辺の住民360人以上が避難していました。裏を返せば、それだけの人が遠くには避難はできなかったということです。もしも原発事故が起きていればどうなっていたのか。伊藤さんは今も避難に不安を感じています。

鮫浦地区 伊藤敏行区長:
「避難道路だろうな。安定ヨウ素剤は配られているから。それを飲んだってずっといられるわけではない」

避難の課題は、牡鹿と同じ「半島」で起きた能登半島地震でも浮き彫りになりました。こうした中、1月、原子力規制員会の山中伸介委員長が女川原発を視察しました。