「野球やっていた意味あるのかな」

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「甲子園に出られたっていう中で、甲子園がなかったと思うと、唯一そこだけが、甲子園に行きたかったというのが心残り」

2020年。新型コロナウイルスの影響で、戦後初、夏の甲子園が中止に。保坂さんは、当時高校3年生。聖隷クリストファー高は、県の独自大会で優勝したが、その先の憧れの舞台に立つことはかなわなかった。

保坂さんが高校時代毎日書いていた“野球日記”を見せていただいた。中止決定後も、「県で1番になる目標は変わりない」「悔いのない高校生活を」と前向きに見える言葉をつづっていたが、本心は違った。

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「野球やっていた意味あるのかなっていうぐらいだった。正直、野球少年が行きたいところって甲子園。(甲子園に憧れて)始めてきた野球が、甲子園がないまま終わるってなんだろう。なんのために野球をやったんだろうって。誰に怒ったらいいかわからないし、どこを悔しがったらいいのかもわからないので、ただただもがいていた」

ずっと抱え続けた、複雑な思い。そんな中、2023年5月、うれしい知らせが届いた。3年前、甲子園への夢を絶たれた全国の球児を集めた大会が開催されることになったのだ。当時の高校球児らが企画・運営する大会で、会場は、聖地・甲子園球場。聖隷クリストファーOBチームも保坂さんがリーダー役となり、この大会に参加することを決めた。

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「当時の記憶がフラッシュバックしてきた。やっと、甲子園に行けて本当の甲子園を知れるんだ、甲子園でできる。甲子園ってなんなんだろうっていうのがついに答えになるということで、喜びをかみしめていた」

大会の運営資金は、クラウドファンディングなどを活用、半年前から参加する球児らが自分たちで集めてきた。大会が間近に迫ったこの日も、メンバーが集まり、協力を呼び掛けた。

こうした活動に特に力を入れているのが、もう1人のリーダー・大橋琉也さん。愛知県で看護師として働いているが、時間を見つけては、1人でチラシ配りをすることもあったという。

<聖隷クリストファー高校OB 大橋琉也さん>
「ビラを渡しても『大丈夫です』と断られてしまうことも結構あるが、甲子園という場所でもう一度全員で野球をやりにいきたいと思い、頑張っている」

一度は奪われてしまった甲子園の舞台を今度は自分たちの手で掴み取り、いざ、憧れの地へ。