国民の悲願だった”民主化” ようやく光が見えたが…

1962年に最初の軍事クーデターが起きたミャンマーでは、2011年に民政移管するまで、半世紀にもわたって軍の強権支配が社会に深く根付いてきた。
1988年に始まった大規模な民主化運動は学生を中心に全土に拡大。2007年には僧侶たちによる反政府デモが展開された。
このとき、デモの現場を取材していた日本人ジャーナリストの長井健司さんが治安部隊に撃たれて亡くなり、世界に衝撃が走った。
民主化を目指す闘いは苦難の連続だったが、2015年の総選挙で勝利したアウン・サン・スー・チー氏率いる民主派政権の誕生によってついに実を結んだ。
ところが、2021年2月に起きたクーデターで再び軍が実権を掌握したのだ。市民への厳しい弾圧によって、これまでに殺害された民間人は3000人を超える。
「将来の目標失われた」日本目指す若者も急増
抑圧された日々の中で、ヤンゴンの人々はどう過ごしているのか。私たちは市内の日本語学校を訪ねた。
教室に入るとたくさんの生徒であふれ返っていた。熱心にメモをとるのは、教室は16歳から30歳までの生徒。
業界関係者によると、ミャンマーでは軍の統制下にある公立学校に通うのをやめ、日本への留学や日本での就職を目指す若者たちが急増していて、市内に数百校の日本語学校が林立しているという。
取材した日本語学校も、クーデター前は約500人だった生徒が約1000人に倍増し、教室も急遽3か所増やした。

日本語学校の校長:
「以前は高校生の年齢で来る生徒はあまりいませんでしたが、最近は16歳とか18歳とか19歳の生徒がどんどん増えてきて驚いています」
生徒たちになぜ日本に行きたいのか質問してみると、「アニメが好き」 「日本の文化を知りたい」「高い収入を得たい」などの答えが返ってきた。
でも本音はどうだろうか。校長に聞いてみた。
日本語学校の校長:
「それは…今の時点では言いにくいんです。言いたいんですけど、言いにくいことがたくさんありますので…すみません」
身の危険を感じたのか、校長は口を閉ざした。その後、匿名を条件に取材に応じてくれたある日本語学校の生徒は理由を次のように打ち明けた。

某日本語学校の生徒:
「多くの若い人たちが日本など海外への留学を決断したので、僕もミャンマーで勉強したくないと思いました。(クーデターによる)混乱が起きたことで私の夢や目標は失われてしまいました」