会ってみてトムさんが感じたのは、彼らがごくありふれた人間だということだった。想像していたような、“殺人者の親”ではなかった。離婚やアルコール中毒で機能不全に陥った家庭が”殺人者”を作り出すのだと考える人は多いだろう。でもそうではなかった。これは誰にでもどんな家庭でも起こり得ることだと思った。ただ、子どもの身の回りに起きていることに、親たちが波長を合わせられなかっただけだ。ハリスの父親は軍隊に所属していて、家族との関わりが希薄なように思えた。また、両親は息子の交友関係について関心が薄かったようだった。

■「あなたたちの息子を赦します」そう妻は言った

とは言えハリスの両親も息子について何かがおかしいと感じていた。ある時、ハリスは怒りにまかせて拳を叩きつけ壁を損傷したことがあったという。息子が精神的な不調に陥っていると心配してカウンセリングを受けさせたこともあった。学校生活に馴染めず孤立やいらだちを深めている兆候に気づいてはいたものの根本的な解決には導けなかったのだろう。それを責め立てるのではなく、明らかにしていくことは今後同様の犯罪を防ぐ意味で役に立つとトムさんは考える。

トムさんの妻は、対話の最後、ハリスの両親に向かって「あなたたちの息子がしたことを赦します」と言った。トムさん自身は、殺人を犯したことについては赦すことはできないと思ったが、「ハリスたち2人が孤独な魂を抱え、出口も見えない中で彷徨っていたことについては赦すことができる」と私たちに語った。

■「対話」による解放

「修復的司法」に違和感を感じる人もいるかもしれない。大切な家族を殺した人間やその家族の顔など見たくもない、という人も多いだろう。鴨下弁護士は「対話」の場を整えるためには、事前に双方に聞き取りを行うなど多くの地道な準備が必要だと話す。

トムさんも、事件からある程度時間が経過して、双方が「対話」することを受け入れられる気持ちになっていないと難しいかもしれない、と話す。ただ、自分は対話したことを全く後悔していないと言い切った。息子を殺したのがどんな人物で、どんな家庭に育ったのかを知らないまま、永遠に憎しみの感情に囚われて生きることはできないと感じたからだ。

そして、加害者・被害者という立場に陥ってしまった人は「修復的司法」に取り組むべきだと語った。苦痛や怒りの感情を抱えることは自分を傷つけてしまうが、対話はそれを解放するものだ。そうトムさんは考えている。