■事件の背景を知りたくて

トムさんは息子について「ダニエルはとても大人しく、頭の良い子どもだった。自分の弱さを受け入れることができる優しさを持っていた」と語る。決して運動神経が良い方ではなかったものの陸上で長距離を走っていた。選手に選ばれる事はなかったが、懸命に練習し、他の生徒の応援もしていた。また、人前に出るのが苦手だったが敢えて弁論部に入部し腕を磨いていたという。

そんな息子の命を一瞬にして奪った加害者エリック・ハリスは犯行直後、共犯のディラン・クレボルドとともに自殺している。他の被害者遺族たちは、加害者の親たちを相手取って事件の責任を問う裁判を起こした。その後、示談となり、裁判記録は公開されていない。裁判に加わらなかったトムさんは、途方もない時間にわたる加害者の親たちの証言を直接聞けていない。事件の背景にあるものは何だったのか?裁判が解決してくれなかった疑問は胸の中でくすぶり続け、トムさんはやがてある行動に出る。事件発生から8年。自らペンを取り、ハリスの両親に手紙を書いたのだ。「あなた方も息子を失った悲しみに耐えているのでしょう」という書き出しで。

この時トムさんは意識していなかったのだが、実はこれは「修復的司法」と呼ばれる手法なのだ。

■「修復的司法」と従来型の司法

「修復的司法」とは何だろう。欧米で始まった「修復的司法」を日本で実践する一人である鴨下智法弁護士に聞いた。
鴨下氏によれば「修復的司法」とは、犯罪を地域コミュニティのなかで起きた「害悪」ととらえ、犯罪行為によって最も直接的な影響を受けた被害者・加害者・その家族らの「害悪からの修復」を、従来型の司法=裁判ではなく、対話によって目指すという考え方だ。鴨下氏も、被害者遺族の「回復」には「修復的司法」が有効だと考え、犯罪被害者と加害者やその家族同士が対面するための活動に取り組むNPO法人「対話の会」を運営する。

その理由について鴨下氏は、日本やアメリカなどの現行の司法制度は、被害者遺族の救済を目的としていないことを挙げる。「法律に則って加害者に刑罰を科し金銭賠償をさせることは、遺族らの『被害感情』を汲み取り、解決することに必ずしもつながっていない」、と。たとえば、「大切な人を失った悲しみは金銭に置き換えられない」「加害に及んだことを面と向かって謝って欲しい」と考えている遺族の感情は置き去りになってしまい、裁判で解決されることはないのだ。確かに被害者参加制度はあるが、「対話の会」は法廷での「被害者の意見陳述」「被告人への質問」は互いに一方通行の方法であり、「対話」に代替できるものではないと考えている。

さらに言えば、加害者が被害者や遺族に「懲役刑・金銭賠償以外の償いをしたい」「赦しを得たい」「犯罪に手を染めてしまった経緯を話したい」という思いを抱えていても、それが裁判の中で届くことはほぼない。これら、従来型の司法では解決されない被害者側・加害者側の想いの「分断」に橋をかけるのが「修復的司法」だ。NPO法人「対話の会」では、これまでに少年リンチ死事件から窃盗事件まで多岐に渡る30件あまりで、被害者側と加害者側の対話の場を取り持ってきた。
ある時、対話を経た加害者の家族が、憑きものが落ちたような、重荷から解放された表情を見せたことが印象に残っていると鴨下氏は話す。罪を犯した者にどういう罰を与えるのか論じて量刑を決める従来型の司法では得られない、関係した人たちが少しでも日常を取り戻し次の一歩を踏み出す「回復」を「修復的司法」は担うという。

■「想像していたような、”殺人者の親”ではなかった」

話をトムさんに戻そう。
トムさんは最初に手紙を書いてから2年間、ハリスの両親の弁護士との面会などを通じて「会いたい」という思いを伝え続けた。その結果、ハリスの両親は会うことに同意した。銃乱射で息子を失ったトムさん夫妻と、自殺した加害者の1人、ハリスの両親が「対話」することとなったのだ。対面の冒頭に立ち会った弁護士は双方を引き合わせた後、立ち去り、4人だけが残された。そこで4人は、お互いの失った子どもがどんな日常生活を送っていたかなど、平凡な会話を積み重ねていった。緊張が走るような瞬間はなかったという。