ひとり一人が備えて、助け合う
清光さんは、被災後、玄関に非常用のリュックサックを置いています。

また清光さんは、ひとり一人が災害に備えることで、お互いを助け合えるといいます。
「自分のできることは自分でしようというのが年寄りの考え方だ。自分でできることやって、どうしようもならなかったら、若い者だって見捨てないと思うんだ。俺はそう言う皆に」
清光さんを取材中、通りかかったトラックの振動で仮設住宅が揺れたことがありました。私はその時の清光さんの表情が忘れられません。
「地震か?!」
ビクッと体を震わせ、それまでの穏やかな笑顔は消え、強張った表情になったのです。このとき私は、すぐにトラックによる揺れだとわかり、慌てることはありませんでしたが、清光さんにとっては、トラックの揺れでさえも、あの日の恐怖を思い出させるものになっていました。
「忘れるなってことだ。災害はいつ起こるかわからない」と清光さんは話します。

花を栽培するのは、サダ子さんと暮らしていた頃からの習慣です。
花を見て思い浮かぶのは、サダ子さんのこと。
「思い出したってしょうがないけど、思い出さないったら嘘になる」
取材の後、清光さんとサダ子さんの家の跡地を訪れました。建物は取り壊されていましたが、かつての庭には、花が咲き続けていました。
