■ウクライナ、キーウへ

ワルシャワから高速バスに乗り、16時間ほど移動すると、ウクライナの首都・キーウに到着します。現在、国外からウクライナに戻る人の数も増えており、キーウに帰る鉄道やバスは満席。国境沿い付近の道路では渋滞も起きていました。なお、逆側の、ポーランド側に向かう道路はガラガラでした。
キーウは、歴史的な建造物と、近代的なテナントが、ユニークに同居する街です。開戦直後、キーウからは多くの住人が国内外に避難しました。しかし取材で訪れた5月中旬となると、多くの人々がまた戻って来ています。「街中でもたくさんの女性を見るようになった」「Tinder(位置情報で出会うマッチングアプリ)でも、戻ってきた女性からいろんな話を聞けるようになった」と、複数の方が口にしていました。

キーウは本当に緑豊かな街です。広い道路のあちこちに花や木があり、中心街から少し歩けば、大きな公園や丘へとたどり着きます。オープンなベンチがあり、あらゆる店があり、レストランも文化施設もある。壁にはアーティスティックなグラフティがあり、最近では電動キックボードが流行っています。広場とストリートが、さまざまな人々を繋いでいました。

ただ街を歩いていると、歴史情緒のある、賑わいのある姿を楽しむこともできます。しかし、街中には間違いなく、戦時下であるということを思い知らされる風景がいくつもあります。
例えば地下道やメトロに降りる階段には土嚢が積まれ、空爆への備えがなされています。街中の至る所に、車止めが置かれ、塹壕が造られ、戦闘車両が配置されています。キーウが侵攻された時のための備えが、街中のさまざまな場所に残っています。

主要駅に入る際には、機関銃を持ったガードに、パスポートやプレスパスのチェックを求められます。平時は問題なく歩くことのできる大統領公邸付近ですが、戦時中には近づくことにも制限があります。各所に検問があり、スパイ活動や破壊活動への警戒が行われています。
キーウ中心にある広場では、芝生に多くの小さな、ウクライナ国旗がはためいています。その近くには看板があり、「プーチンによって殺されたウクライナ人の数」「プーチンによって殺された外国人の数」という掲示があります。戦争によって誰かが死ぬたびに、カウントアップされるモニュメントです。このモニュメントは、通行人にメッセージを書いた旗を残していくことを求めていました。

ムィハイール修道院の前には、ここ数年のドネツクの戦争で亡くなった方の写真などが多く掲示されています。他にも街のあちこちで、戦争で亡くなった方の写真とメッセージが掲示されています。

ウクライナでは元々、街の至る所に、彫像や歴史的モニュメントがあります。そのうちいくつかは、防護ネットや鉄筋で覆われていたり、土嚢で埋め尽くされたりしています。これは、空爆によってスタチュー(彫像)などが壊されないよう、保護しているのです。

戦前とは明らかに異なる、街の風景。それでも人々は、日常の営みを続けています。店を開け、通勤をし、勉強をし、食事をとる。一日数回鳴る空襲警報は、もはや多くの人が気にしていません。警報が鳴る中でも、人々は犬の散歩を、買い物を、デートを、ジョギングを続けています。ただし、深夜のサイレンによって叩き起こされるのだけは困ったものだと、キーウ在住の人々はこぼしていました。
<執筆:荻上チキ 後編へつづく>