「冷戦の壁」の向こうの「人の心」

 1990年代初頭のソビエト崩壊に呼応するかのように、撃墜事件に関する様々な情報が出て来たのは、改革開放の政策もさることながら、何よりも旧ソビエトの関係者・国民の間に「とんでもないことをやってしまった」という 罪の意識があったからだと思われます。実際、新生ロシア政府のエリツィン大統領は、証拠品の引き渡しだけではなく、韓国に対し公式に謝罪をしています(1992年11月19日)。
 「ソ連の人に心があるなら、遺体だけでも返してほしい」。
 事件直後に遺族の1人はこう話していましたが、「冷戦の壁」の向こう側の人たちも人の心を持ちながら、国のシステムがそれを阻んでいたのだと、私は思います。
 ひるがえって、ウクライナに戦争をふっかけた今のロシアはどうでしょうか。大勢の人の命が奪われている中で、政府に不利な情報はまったくと言っていいほど出て来ません。犠牲者の中には、自国の兵士も含まれているのに。まさに、歴史のフィルムの逆回転を見ているようです。近い将来に停戦が実現し、戦闘の裏で起きていたことが明らかになる日は来るのか。ロシアの人々の「心」を信じるしかないのでしょうか。


40年目の鎮魂と平和への祈り

 稚内市は、大韓航空007便が撃墜された9月1日を「子育て平和の日」と定め、毎年式典を開いています。事件から40年となる今年も、宗谷岬に立つ慰霊碑に近い小学校の体育館に、200人が出席し、平和への祈りを捧げました。1991年から毎年行われて来た鎮魂の「野焼き」は、灯ろうを灯す「慰霊の火」へと形を変え、今も続けられています。

平和を祈って風船を放す参加者(2023年9月1日・稚内市/画像提供:稚内市)

 20年前に遺族に引き渡され、鎮魂の炎として灯された371点の遺品の目録は、稚内市の元職員、佐藤忠男さん(74)が、今も自宅で保管しています。
 「ロシアとウクライナのことなど、まだまだ世界では争いが絶えない。平和の大切さを伝えるために、この事件を風化させてほしくないし、風化させてはいけない」。大韓航空機撃墜から40年。悲劇にほんろうされた遺族を目の当たりにしてきた佐藤さんは、そう話しました。

犠牲者の冥福を祈る慰霊の灯ろう(2023年9月1日・稚内市/画像提供:稚内市)

<参考文献>
※1USS Elliot (DD 967) - Ship's History https://www.navysite.de/dd/dd967history.htm
※2柳田邦男「撃墜・大韓航空機事件<上>」(講談社・1991)
※3小山巌「ボイスレコーダー 撃墜の証言 大韓航空機事件15年目の真実」(講談社・2002)
※4メーデー!3:航空機事故の真実と真相 第6話「誤認」(2005)ほか
※5メーデー!16:航空機事故の真実と真相 第4話「マレーシア航空17便 撃墜事件」(2018)ほか
※6BBC NEWS “MH17: Four charged with shooting down plane over Ukraine” (2019年6月19日)ほか
※7BBC NEWS “Iran plane downing: 'Several people detained' for shooting down airliner” (2020年1月14日)ほか

◇文:HBC南部肇