撃墜から20年で1つの区切り

 撃墜事件から20年となる2003年9月1日、晴れていればサハリンが見える稚内市の声問海岸は、いくつもの明るい炎に照らし出されました。撃墜事件の犠牲者を悼もうと、1991年から行われている、鎮魂の「野焼き」です。浜辺に立ち上る炎は、サハリン沖に沈んだ乗客乗員の魂が向かう先の、目印になっているかのようでした。
 このとき、一緒に焼かれたものがありました。撃墜から20年間、稚内市が保管し続けた大韓航空007便の乗客の遺品です。回収された300数十点のうち、遺族の元に帰ったのは、ごくわずか。20年で1つの区切りを付けたいという遺族会の希望で、引き取り手のない371点は遺族会の手によって鎮魂の炎として灯されました。

 このとき私は、現地を取材しました。
「真相がわからず、遺族として気持ちの整理がつかない」
「まだまだ真相究明をするべき」
といった遺族の言葉が印象に残っています。

 既にICAOの最終報告によって、直接の原因は「パイロットのミス」として決着が付いていた時期でした。それでも「真相究明」を求めたいという遺族の声は、ICAOが出した結論への不信感と私は受け止めました。
 隠された事実が、まだあるのではないか…。
 無防備な旅客機がミサイルで撃墜されたという事件は、「ミス」の一言では到底納得できない衝撃を与えていたのです。

鎮魂の野焼き(2003年9月・稚内市)
野焼きの炎を見つめる乗客家族(2003年9月・稚内市)