突然のガンバ大阪への辞令 「サッカー知りませんけど」から始まったクラブ運営

―――「ガンバ大阪を任せる」と言われたのは?
当時、勤務地が関東だったんですね、単身赴任で。「5年ぐらい勉強してこい」っていうことで辞令をいただいたんですけど、6年たっても10年たっても帰らせてもらえないですし、15年たって、私としましても家族の関係とか子どももまだ小さかったですしね。いろいろあってやっと「大阪帰りたいんか?」と当時の役員から言われました。もちろん「はい」と即答でした。そしたら「じゃあ、帰らしたるわ」と紙に書いてパッと見たら「ガンバ大阪」と書いてあって驚きましたね。「サッカーは全く知りませんけど」と思わず言いましたね。
―――野球は経験していましたが、サッカーはそんなに詳しくないのにですよね?
詳しくないですし申し訳ないですけど、Jリーグの試合をスタジアムで観戦したことなかったですからね。当然、代表戦をテレビで拝見するぐらいはありましたけどね。異動が決まってパナソニックスタジアム吹田での開幕戦を見にきたんですよ。初めて試合を見て感動したんです。鳥肌たちましたよ、初めてのあの雰囲気に。サッカーの試合というよりも応援の雰囲気にまず感動しました。スタジアムでみなさんが、声をひとつにして応援される熱狂的な声がすごいので、それを初めて体験した時「4月から着任するけど、これはすごく大変な仕事だな」と思いました。「ガンバ大阪に関わる全ての人たちに笑顔をお届けしたい」というのが最初の決意でしたね。