進学できずあきらめた夢「死ぬまで忘れない」

福島市在住の山口慶子さん(89)は、小学校3年生のときに東京から現在の宮城県大崎市の親戚の家に疎開しました。

山口慶子さん(89)

山口さん「荷物を全部持ち、大きいものはだめで。持って行けた荷物は60パーセントぐらい。行った当時は大変だった、言葉がわからないし」

歌が好きだった山口さん。将来は、幼稚園や小学校で音楽を教えるのが夢でした。しかし、戦況が悪化すると疎開先で「学ぶ」ことすらできなくなっていきました。

山口さん「(戦争が)盛りになってからは授業ではなく馬の餌を何キロとってこいなど、勉強なんか全然なかった。」

ひとり東京に残って働いていた父の職場は、空襲で焼失。父は仕事を失い、農家として家族を養いますが、山口さんを進学させる経済的余裕はありませんでした。

山口さん「自分が進みたい学校があったのに(戦争で)入れなかったのは死ぬまで忘れない。これはしょうがない戦争のためだから。そう思ってあきらめてきた

15歳のころの山口さん

その後、山口さんは、東京で学校給食調理員になり、25歳の時に福島市で結婚しました。夢は果たせませんでしたが、その後も、カラオケに通うなど大好きな歌をやめることはありませんでした。

終戦から78年。ロシアがウクライナに侵攻するなど、世界はいま「平和」から遠ざかりつつあります。こうした状況に、脇さんは、危機感を募らせています。

脇さん「ここ1年2年の世界の動きはちょっと危険」

また、山口さんも、いまの日本の状況に、不安を感じています。

山口さん「今にも戦争が始まるような話をしている。子どもたちや若い人がかわいそう。みんな仲良くして楽しく暮らしてほしい」

多くの尊い命だけでなく、生き抜いた人たちの日常すら奪う戦争。世界から戦争がなくならないまま、78年目の夏が過ぎようとしています。