終戦から78年が経ち、戦争を経験した人の高齢化にともなって記憶の風化が指摘されています。広島の原爆投下を目撃した福島県伊達市の男性と、戦争で夢をあきらめたという福島市の女性。2人の証言から、平和について考えます。

脇博夫さん「焼け野原にバラックが経っている状態で、なかなか厳しかった」

当時の記憶を証言する伊達市の脇博夫さん(87)。広島市の隣にある現在の東広島市の出身で、農家の7人兄弟の末っ子として育ちました。

脇博夫さん(87)

1945年8月6日。脇さんは、小学生でした。午前8時15分。小学校の校庭で朝礼を聞いていたときに、これまでに経験したことがない強い光を見ました。

脇さん「その瞬間ピカッというか…今まで経験したことがないような光で、背中や首筋がずいぶん熱かった」

脇さんが目撃したのは、人類の歴史で初めて、投下された原子爆弾でした。小学校(当時の国民学校)は、爆心地から20キロ以上離れていましたが、その瞬間、強い光と熱を感じたといいます。

脇さん「爆風がドーンときて、校舎のガラス窓が音を立てて揺れて、校舎が壊れるくらいの衝撃だった」

その時に見た山の向こう側の空の様子を、今でも鮮明に覚えています。

脇さん「山の向こうにきのこ雲、何とも言えない色で、なんと表現したらいいか、赤と黒と黄色と紫と、何とも言えない色の雲

その日の夕方、家に帰ると、爆心地の方から負傷しながらも懸命に避難してくる人たちを見たといいます。

脇さん「よろよろして歩いてきた人もいるし、大八車に乗せられてリアカーの人たちもいましたけれど、なんだろうなと。子ども心にね」

それから3年、原爆投下後初めて広島市内を訪れた脇さんは、変わり果てた街の姿に息をのみます。

脇さん「(投下前と)比較しようがない。まったく違う街のような」

人々の日常を奪う戦争は、生き抜いた人のその後の人生も狂わせます。