女学校に入学…待っていたのは授業ではなく「勤労奉仕」

佐藤京子さん「(中学)3年生の時、学徒動員という形で、新庄まわりで(神奈川県)横須賀に行った」

もう一人、戦争を語り継ぐ人。93歳の佐藤京子さんです。

佐藤さんは今の中学3年の時、旧鶴岡高等女学校に入学。

そこで待っていたのは授業ではなく「勤労奉仕」でした。

佐藤京子さん「とにかく勝つまでは皆でがんばらなければならないのだから、がんばってこいという感じで(家族から)送り出された。戦争に間接的だが参加した形」

戦争中の深刻な労働力不足を補うため、およそ200人いた同級生のほとんどが神奈川県の軍需工場に強制的に動員されました。

そこで忘れられないのは夜間の「空襲」。

佐藤京子さん「毎日東京は空襲。パーッと赤く燃える。とにかく毎日。恐ろしい。とにかくこういう思いは子どもたちにはさせてはいけないと思った」

戦争は、学生たちから「当たり前であるはずの学生生活」を奪いました。

佐藤京子さん「(戦争は)自分たちを守るためにしているというように思い込まされてしまっている」

終戦から78年。

今も終息が見えないロシアのウクライナ侵攻、相次ぐ北朝鮮のミサイル発射、台湾と中国の緊張化など、「平和」が揺らいでいます。

2人の戦争体験者。今の日本に伝えたいことは?

7歳の時に戦争を体験・齋藤幸子さん(84)「いろんな偉い人たちがいっぱいいるのに、話し合いで戦争を止めさせる、止めなくてはならないということを全然しない。何か同じことを繰り返していると思う」

中学3年生の時に戦争を体験・佐藤京子さん(93)「今の政治家にもっと自覚を持って平和ということを根本から考えてもらいたい」