終戦から78年。
戦争を知らない世代がほとんどとなる中で、戦争の悲惨さを知ってほしいと、2人の戦争体験者が、はじめて当時の状況を語りました。
あの時少女だった2人が目にした「戦争の惨劇」とは…。
突然『逃げろ』と…7歳の少女が目にした戦争

山形県鶴岡市に住む齋藤幸子さん。84歳。
7歳の時、満洲で戦争を経験しました。
少女の目から見た「戦争」とは。

日本は今の中国東北部に1932年に「満洲国」を建設。
食料を確保するためなどの国策で、齋藤さんの家族をはじめ、多くの農家などが「開拓団」として満洲に送られました。

太平洋戦争に突入すると、父親が戦死。さらに、生活を一変させる出来事が。
―1945年(昭和20年)8月9日 ソ連軍満洲侵攻

齋藤幸子さん「突然だった。突然『逃げろ』と。『今危ないから逃げなくてはならない』というので」
家族5人で2台の馬車に乗って逃げましたが…。

齋藤幸子さん「発砲される。馬に(銃弾が)ドーンと当たって馬車ごと倒れた」
幸子さんと母親、弟の無事は確認できましたが、2人の妹は行方不明に。

齋藤幸子さん「(次の日の朝)日本兵だと思うが、6歳と4歳の女の子。妹を連れてきた。全部傷だらけで、息絶え絶えの妹たちが来て、『誰か親いるのか』と言われて」
その後、妹2人は、逃走中の山中で息を引き取りました。

齋藤幸子さん「我々も人間も動物も全部撃たれているから、全部死体ばかり。死体の上を歩きながら」
食べるものもなく飢餓状態の3人。
母乳が出ない母親、泣きじゃくる8か月の弟。