「自分の子どもを『1、2の3』と川に捨てた」皆、正気ではなかった…

齋藤幸子さん「子どもが泣く。そうすると泣く音に対して発砲するのがわかるから、誰かが誘導したとみえて『この子どもたちを始末した方がいい』ということで、この川に、滝に(子どもたちを)捨てようということになった」
(Q自分のお子さんを?)
「そうです。自分の子どもを『1、2の3』と川に捨てた」

思い返すと、皆、正気ではなかったと話す幸子さん。
今でも思い残すことは。

齋藤幸子さん「着物が浮いて見えた。(弟の)洋一と名札がついていたので、『洋一だ洋一だ』って。助からないとわかりながらも『洋一だ』って。
弟に対して申し訳ない。申し訳ないという気持ちがいまだにもちろんのこと、一生離れない」

家族が次々と命を落とす中、ソ連兵に銃を突きつけられながら収容所への連行、極寒と食糧不足などで生死をさまよいながら、母親と2人、1年余りの逃避行を終え、何とか山形に帰ることができました。

齋藤幸子さん「ただ残酷なことしか目に浮かばないし、これは一生、それこそ私が死んでも絶対離れることのない地獄絵。(今の人に)78年前のことを見てもらいたい。聞いてもらいたい。知ってもらいたい」

先週、鶴岡市で開かれたのは、戦争体験者の証言を伝える映写会です。

「戦争には、ハッピーエンドで終わることは一つもない…」戦争を初めて語った

齋藤幸子さん(84)「戦争には、ハッピーエンドで終わることは一つもない。何十年も戦争という二文字に本当に怒りを持ちながら84歳になったが、ただそれだけを思ってきた」

齋藤さんが戦争当時を初めて語った記録映像が、この日、公開されました。

齋藤幸子さん「4人の亡くなった我々の父、兄弟の供養と思って。本当に感謝申し上げます。ありがとうございます」

視聴した人「語っていただかないと本当にわからないことだったのでやっぱり戦争は絶対にしてはいけない」

視聴した人「あらためて戦争の悲惨さ、平和というものを意識していきたい」