敵・味方越えボルネオ島「78年目の和解」

小川彩佳キャスター:
「お互いの知りたくもないところまで知ろうと思わないと和解はできない」というハッとさせられる言葉がありました。ここからは取材をしたSBC信越放送の湯本和寬記者に話を聞きます。

湯本さん自身もご親族も「サンダカン死の行進」が行われたボルネオ島で亡くなられていて、8年前から取材をされているということですが、当時はどんな状況がありましたか。

SBC信越放送 湯本和寬記者:
当時、日本メディアとしては初めて現地取材しました。許可はされたんですが、約2m四方のロープに囲われていて、「参加者の方々をあまり刺激して欲しくない」というような雰囲気も感じました。

山本恵里伽キャスター:
VTRで馬場さんも言っていましたが、おそらく多くの日本人がこの悲劇を知らない、という現状があります。この点についてどのように感じていますか。

湯本記者:
私自身も遺族でありながら全然知らなかったのですが、我々が知らない一方で、被害者の方は非常に今でも心に痛みを抱えています。
今回は「和解」ということがテーマだったんですけれども「相手がいないと和解はできない」ということで、しかもその内容を知って共感ができないと和解ができない。今回の旅はその和解の第一歩になったのではないか、というふうに感じました。

小川キャスター:
今の戦争にも繋がってくるものがあるかもしれません。

湯本記者:
そうですね、「分断を乗り越えていく」ということがヒントになったような気がします。