パンダの“お返し”…その手がかりは、北海道にありました。
 先週、桜が満開となったオホーツク地方の遠軽町。

 親の代から、苗木の生産業を営んできた佐々木雅昭さん(78)です。

 51年前の夏、父親の佐々木昌太郎さんは、道から、ある「特別な依頼」を受けました。

佐々木雅昭さん
「『これ言ってもらったら困るけれど、中国との国交回復のお土産にと考えている』という話を道の方から父が聞いた」

 国交回復後に、中国から贈られるパンダのかわりとなる、日本からの贈り物。

 選ばれたのは、日本を象徴する「桜」と、寒冷地に強い「カラマツ」でした。


 特に、北京と気候や風土などが似ている「北海道産」に絞り、国と道は、苗木づくりで高い評価を得ていた佐々木さんの会社に依頼したのです。

 ただし、国交正常化交渉がまとまるまでは「極秘」でした。

佐々木雅昭さん
「『話をしないで、よそに漏らさないでね、だけど準備はして』という話ですから、てんやわんやですよね、会社挙げて、てんやわんや」

 国からの要請に応えようと、佐々木さんの会社は、2万本もの桜の苗木の中から、質の良い1000本を選び、準備を進めました。

佐々木雅昭さん
「植物防疫を受けなければということで、土がついたらダメ、わらがついてもダメ、ごみがついてもダメ。傷があったら、もちろんダメ、傷のあるものをどけるという作業が、しばらく続きました」

 創業以来、いちばんの大仕事は、日本の国を代表する贈り物。緊張の連続だったと言います。

佐々木雅昭さん
「気苦労というよりも緊張、万が一、チョンボがあったらいけないので、そのときは夢中だから、時間は過ぎたが、後から考えたらすごいことだったねと」

 遠軽町で、急ピッチで準備された「桜」と「カラマツ」の苗木それぞれ1000本は、1972年10月、千歳空港を出発し、中国に運ばれました。