今、中国で暮らす日本人は、10万7000人あまり。常に対日感情が良好とは言えない中国で、彼らはどんな思いで日本と中国を見ているのでしょうか?
日中国交正常化50年を迎える2022年。JNN北京支局、上海支局の記者が聞いた「私が中国で暮らすわけ」、そして「私が思い描く日中のこれから」。

■日本人パティシエがたどり着いた中国人の意外な一面とは

中国・北京で2012年にスイーツ店を開業し、現在4店舗を展開するBooth’s cakeのオーナー、森田峻亮(もりたしゅんすけ)さん(37)。

森田さんがつくるケーキは北京で人気を博していますが、日本から出店した大手スイーツ店の中には中国市場のニーズを汲むことができず撤退を余儀なくされるケースも多いといいます。
“中国人の舌をつかんだ”森田さんが考える“中国人の意外な食に対する考え”とは?

■プログラマーからパティシエに転身 偶然だった中国との出会い

森田さんは大学の情報学科を卒業後、プログラマーとしてIT関連企業に就職しました。しかし、いざ働き始めてみると子どもの頃からの「人に食事をつくって喜んでもらう仕事をしたい」という夢を忘れることができず、まったく未経験ながらもプロのパティシエになるためにスイーツ業界に飛び込むことを決断したのです。

同僚は料理専門学校を卒業した経験者ばかりの中、ゼロからの下積み生活がスタート。一日中バウムクーヘンを焼くところからパティシエとしての道を歩み始めます。

そして、当時日本で大ブームを巻き起こしていたスイーツ会社に転職したことが森田さんの人生に大きな転機をもたらしました。中国・上海に初めて店舗を出すことになり、駐在員の募集がかかったのです。

「1年しかパティシエの経験が無い自分が海外に挑戦などできるのか…と悩みましたが、ベテラン社員のほとんどは手を挙げなかったんです。私はいつか独立したいと思っていましたし、このゼロからの立ち上げはたくさんの経験を得られるチャンスだと思い、中国に飛び込んでみることに決めました」

このとき森田さん25歳。2010年10月のことでした。

「中国に対しては正直、特に興味があったわけではなく、最近景気が良い国だなという程度の印象で、何も知りませんでした。社員旅行で初めて上海に行く機会があり、思ったよりも治安が良く、香港映画で見たようなローカルな路地の雰囲気がおもしろいなと思いました」

■日本とは異なる材料「メレンゲが泡立たない…」夜通し働き続けた上海駐在時代

会社のスイーツ店は、上海の一等地にありました。そこで販売するショートケーキ、タルトなど様々なケーキを作り、納品することが森田さんの仕事でした。

上海中心部から車で1時間ほどの郊外にあるケーキの製造工場は夜間のみの使用契約。来る日も来る日も、午後8時から明け方までケーキを焼き続け、そのケーキを上海中心部まで車で運び、その後店舗でデコレーション作業。午後3時すぎにやっと全ての作業が終わり、郊外の自宅に帰って寝る、という立ち上げならではの過酷な毎日をほぼ無休で1年間やり通したといいます。

「この1年間に新店舗の立ち上げから、あらゆる種類のケーキの製造過程を経験したことでたくさんのことを学ぶことができました。一時入院するほど身体はボロボロでしたが (笑)」

初めての中国生活ならではの苦労もたくさんあったといいます。

「経験豊富なベテランのパティシエたちが『いくらやってもメレンゲが泡立たない!』『日本と同じレシピで作ってもおいしい生地ができない!』と連日悪戦苦闘していました。卵や小麦粉、乳製品といった現地の材料が日本のものとは違い、品質が悪いことが原因でした。ベテランでも材料が違うと成す術がないのかと驚きました」

仕事での苦労は絶えなかった一方、まわりの中国人は日本人である森田さんに対してとても友好的で、この1年間の上海生活はハードながらも充実していたといいます。