いまから50年前(1972年)日本と中国が国交正常化を果たしました。正常化を確認した日中共同声明の調印式に日本代表として臨んだのが田中角栄総理大臣(当時)でした。田中総理はこの年7月に自民党総裁選挙で福田赳夫氏らライバルを抑えて勝利し内閣総理大臣に就任したばかりでした。田中総理の外遊にはほとんど同行したと語る真紀子さんですが中国への同行は許されなかったということです。
(聞き手・膳場貴子キャスター)

■“国交正常化の機は熟した”田中元総理の中国への思い

膳場キャスター:
田中元総理は自民党総裁選で勝利した直後に“日中国交正常化の機が熟してきていると思う”と発言されています。ということは総裁選に出る以前から国交正常化に向けての準備をなさっていた、考えていらしたということでしょうか?

田中真紀子さん:
中国と戦争があったことによってですね、不幸な戦争があったことによって、ずっと数十年間もこういう関係であることはよろしくないと。これは日本の国の発展のために絶対に中国とは良い関係を作らなきゃいけない。これはもうしょっちゅう茶の間でも言っておりました。国交回復する前後は、大変な状態でしたけど、突然総理になったから思いついてやっただとか、あるいは外務省がですね、セットしたからやったんだということでは決してないんです。



膳場キャスター:
田中元総理は先の大戦中に中国に一兵士として戦地に赴いてらっしゃるんですよね。中国に対してどんな思いであったのか。

田中真紀子さん:
(田中元総理は)中国に一兵卒として行ったときも、中国人をあやめるようなことに一度も出会わなかったと。もし自分が撃たれるか刺されるかと思ったら、必ず自分が瞬時にやっただろうと、相手を。しかしそういう局面に1度も会わなかったと。これは神さんがお父さんを守ってくれていたのかもしれない。それがなかったら、日中国交回復なんて、まずできなかった。

■台湾断交に対する自民党内の強硬な反対

当時の日本は中華人民共和国とは国交を結んでおらず台湾にある中華民国と結んでいました。そして田中総理の前の佐藤栄作総理は中華民国に近い“親台湾派”でした。さらに佐藤氏の兄である岸信介元総理は“親台湾派”の重鎮でした。こうしたことから自民党内には国交正常化=台湾との国交断絶に強い反対意見がありました。

“新台湾派”だった佐藤栄作元総理

膳場キャスター:
中国と国交正常化するというのと背中合わせで台湾との断交もありましたよね。それはお父様にとってもう苦しい板挟みだったと想像しますが。苦悩している姿は覚えていますか?

田中真紀子さん:
(田中元総理は)中国問題は外交というよりも、内政の重要な部分であると認識していました。中国との長い深い関わり、日本政治の根底にあるものは常に中国問題であり、それ抜きで日本政治は考えられないと言っても過言ではないと。

自民党内で相当の両院議員総会、代議士会をやってるんです。何度も。で、いっぱい意見が出てる。これはまとめられないなと…岸(信介元総理)さんと賀屋興宣さん(自民党親台湾派の大物議員)がしょっちゅう来てる。そういうグループとも会っている。両院議員総会でもやっても駄目なので、最後は父の見切り発車。すなわち、“もうまとまらないんだから何十年間もじゃあ自分の責任でやる”と。

“親台湾派”の重鎮だった岸信介元総理