両親が連れ去られたのは「私のせいだ」

「全部私のせいだ」。ユリア・アデゥリシェンコさん(当時11歳)は泣き叫びながら金属製のたらいを一心不乱に殴り続けていた。手は赤く腫れあがり、血が滲んでいる。

その光景に里親のリディアさんは目を疑った。里子として引き取ってから半年間、ユリアさんは感情を表すことなく終始、黙り込んだままで、言葉を発することはほとんどなかったからだ。

(前編・中編後編のうち前編)

ウクライナ東部ドンバス地方で3姉妹の長女として育ったユリアさん。2014年にドンバス地方で親ロシア派武装勢力とウクライナ軍の戦闘が始まり、自身の目の前で両親が親ロシア派の兵士に連れ去られた。

現在も行方不明の両親について「全部私のせいだ」と自分を責め続けてきたのである。子どもに自責の念まで植えつけてしまう戦争の罪深さ。私はユリアさんへの取材を通じて、それを痛感させられた。

19歳になったユリアさんは現在、ウクライナの隣国、モルドバで避難生活を続けている。2022年2月のロシアによる侵攻で、さらなる避難を余儀なくされたが、温かく包み込んでくれた里親家族とともに、新たな一歩を踏み出そうとしている。2度の戦災に翻弄されながら、そっと支え合う家族を取材した。