「ふるさとでの暮らしは戻らない」一部で避難指示解除も、厳しい現実
一度はふるさとに戻ってきたが、再び去ろうとしている人がいる。

細沢靖さん(78)。
細沢靖さん
「ここから、ちょっと線量高いんだ」
双葉町は今も8割以上が帰還困難区域だ。許可なく立ち入ることができなくなっている。細沢さんが生まれ育った実家もこの中にあった。
いずれはこの場所で老後を送ろうと思い描いていた。しかし、今は家があったことすらわからない。残るのは思い出だけだ。

細沢さん
「今はあまり住みたくないな。半分諦め、諦めしかないよ」
復興拠点の避難指示解除の見通しが立った2022年1月。細沢さんは双葉駅近くで暮らし始めた。
細沢さん
「心の中には『ふるさとに帰りたい』という気持ちがずっとあった。双葉に戻れるなら放射能が高くても構わないと思った」
この時点で町に住み始めた人はごくわずか。いずれはもっと増えると信じていた。だが…

細沢さん
「いざ戻ってきてみれば最悪。人がもっと帰ってくるイメージを描いていた。これが、見事に外れた」
予定より遅れたが、ついに双葉駅周辺の避難指示が解除された。待ちわびた瞬間を見届けようと、町民たちが避難先から集まった。話を聞いてみると…

双葉町出身の男性
「戻って来たい気持ちは強いけれども、相馬市に家を建てて、子どもは学校に通って、生活基板ができているので、なかなかそれは難しいのかな」
この日、細沢さんはイベントには行かず、一人、家の中で過ごしていた。
細沢さん
「みんな避難してるのに、がわ(外)から来て、みんな、ああでもない、こうでもないと。そういうの嫌いなんだ。それだったら帰って来ればいいのに双葉に。帰ってこないんだもん」
ニュースキャスター
「11年5か月ぶりに、住民が住めるようになりました」

細沢さん
「なんぼ努力したって、行政が努力したって、戻らないものは戻らない。あまりにも時間が経ちすぎた。どうせ帰ろうと思っても帰れない。家もないし何もないから帰れない」
町に戻って7か月。「ふるさとでの暮らしは戻らない」、そう悟った細沢さんは、町を再び離れることを考え始めていた。
細沢さん
「できるならば、違う家でも探して、引っ越そうかなと考えている」
2023年1月。「だるま市」が震災後初めて、双葉町に戻ってきた。集まったのは2日間で3000人以上。町は再び活気づいていた。

訪れた女性
「やっぱ嬉しいです。慣れ親しんだ地でやれて、来られて嬉しい。同級生と十何年ぶりに会えた」
そこには、まだ町から離れられずにいる細沢さんの姿もあった。
細沢さん
「あんなにいなくたっていいけど、半分でもいたら、本当に楽しいだろうな。(友達と)『おう!』なんて…」
この祭りのにぎわいも、その日で終わり。翌日になれば、また元の町に戻る。

細沢さん
「嬉しいよ。嬉しいけど、すぐ会ってすぐ別れる。つらい部分もある。別れなければならない。かえって寂しくなる、後からな。夕方になって明日になったら、余計寂しくなる。大変なんだ、こういう所にいるというのは」
双葉町は今、企業誘致を進め、新たな住民も呼び込み、町を再生しようとしている。現在14社が操業。町にいる住民約60人のうち40人以上が移住者などとなっている。
さらに、2025年度までに、駅の真向いの敷地に飲食店などが入る商業施設を構え、活性化を図る計画だ。しかし…

伊澤町長
「コンビニエンスストアもですが、お願いはしているけど、良い返事を頂いている状況ではない」
厳しい現実に直面している双葉町。それでも町長は…
伊澤町長
「我々は戻れないと思ったところに、戻れるような状況になった。だったらもっともっと戻ってきてもらえるような、環境整備をする」
一部で避難指示が解除された今、町長は、今後の復興には、町民の協力が欠かせないと話す。

伊澤町長
「非常に辛い思いで苦労されて、避難先で、避難先の皆さんにお世話になって今生活できている方が大半だと思うんですけど、でも我々は、原子力災害で全町避難して、被災者なんですよ、被害者なんですよ。だから支援してもらうのが当たり前だみたいな」
「確かに被害者だし、被災者なんですけども、いつまでもその意識では、本当の復興ってできない。自らがやっぱり何とかしようという思いを持っていただきたい」
一方で、町長は、町を崩壊させた悲惨な原発事故の記憶が、年々風化しているのではと、強く危惧している。

伊澤町長
「自分の身に置き換えるってことも考えていただけると、少しは見方が違ってくるんじゃないかって。何十年、何百年培ってきたコミュニティが一瞬ですから。たった1日で双葉町というコミュニティが崩壊してしまった。再構築ってどれだけ時間がかかるか、本当に想像を絶する。私の代だけでできれば良いが、次の人たち、さらにはその次の人たち、となるのかなという感じがしています」