コロナ禍の医療逼迫で注目された「トリアージ」。限られた医療資源で1人でも多くの命を救うために必要な、“傷病者の峻別”だが、時に、生死の境界線を引く過酷な決断を医師らに強いる。国内の災害で初めて実践されたのは、1995年の阪神・淡路大震災とされているが、その現場を記録した貴重な映像が残されていた。
(TBS/JNN 3.11震災特番NスタSP “いのち” ディレクター 松本陸)
阪神・淡路大震災当日の緊迫の医療現場 “唯一の映像”
兵庫県神戸市の六甲アイランド甲南病院に勤務する、医師の水谷和郎さん(58)。忘れられない記憶がある。

「窓の外から、突然ゴオーッという音が近づいてきたんですね。『何?何?』と思ったら、ドスンという縦揺れが来て、しばらく横揺れが続いた」
1995年1月17日早朝に発生した、阪神・淡路大震災。神戸だけではなく、震源地となった淡路島でも甚大な被害が出た。水谷さんは当時、淡路島の洲本市にある兵庫県立淡路病院(現:兵庫県立淡路医療センター)に勤務していた。

驚くべきことに、1月17日の病院内を映したビデオが残っている。同じく県立淡路病院に勤めていた栗栖茂医師が撮影したこのビデオは、阪神・淡路大震災発生当日の救急医療の現場を映した、“唯一の映像”とされている。傷病者の搬送が続き、混乱を極める現場の様子が克明に記録されている。

「ストレッチャーもう2台!」
「チューブちょうだい!」「ハサミ貸して!」
「モスキートとティッシュくれる?」

あちこちで、胸骨圧迫など心肺蘇生法(CPR)が実施されていく。
「もうひとり挿管!」
「(この傷病者は)建物の下敷きになっていてね…」
誰もが未経験の非常事態。現場は限界寸前だった。