公共交通機関はバスのみ…鉄道は32年前に廃線の「兵庫・多可町」


 では、鉄道が廃線になると町はどう変わるのか?取材班は佐用町から東へと向かいました。播州織などで知られる兵庫県多可町。町内に鉄道はなく、公共交通機関はバスのみです。
 公民館前のバス停で雨の中、高齢の女性が1人、バスを待っていました。

 (バス停で待っていた女性)
 「(Qもっと昔はにぎやかだった?)にぎやかだったよ。ここらへんでもお店があったしね。もう今はお店も閉まっているから寂しいです。バスの回数も少ないからちょっと不便やけどね」

 町内を走るバスは1時間に1本程度。やってきたバスに乗ったのはこの女性だけでした。
過去に多可町を走っていた国鉄・鍛冶屋線
 しかし、この町にもかつては鉄道が走っていました。大正時代に開通し、多可町の前身である中町と西脇市を結んだ国鉄の鍛冶屋線。しかし、1980年代に入ると乗客数が減少し、廃線の危機に直面しました。

 そんな中、当時、全国的に「ミニ独立国」を名乗って町おこしすることがブームになっていて、この地域でも鍛冶屋線の7つの駅の頭文字を取り、「カナソ・ハイニノ国」と名乗り、住民に月1回の乗車を義務付けるなど鍛冶屋線存続のための運動が行われました。

 カナソ・ハイニノ国で内閣官房長官を務めていた小嶋明さん(74)。今もこの地域に住んでいます。

 (小嶋明さん)
 「毎月毎月、乗車促進のイベントを企画したり、研修に行ったりいろいろしました」

 当時はメディアが殺到するなど注目を集めましたが、鍛冶屋線は結局、国鉄の民営化とともに廃線になりました。