「生きられない」仮放免の実態 支援する側にも限界が・・・
大澤さんはコロナ禍以降、仮放免者ら100世帯ほどに住居の提供や食料支援をしてきたが、追い付かないという。
大澤さん
「私も帰国支援をしています、帰りたい人には。ただ、帰れない人がいる。難民だったり、日本生まれ日本育ちのお子さんだったり。そういう現実を直視して、できることを考えないといけない」

チリ出身のクラウディオ・ペニャさん(62)。3年前から仮放免の状態だ。
国際的な料理コンテストで優勝経験を持つ一流の料理人で、27年前、技能ビザで来日し、チリ料理のレストランなどで働いてきた。
ペニャさん
「その時、お店はすごく混んでいた。『クラウディオ〇〇作って!〇〇作って!』と。楽しかった、楽しかった。本当に楽しかった」
すべてが一変したのは、2011年。東日本大震災をきっかけに、保証人が突然、日本を出て、行方をくらましてしまう。
震災後の混乱の中、ペニャさんは新しい保証人を見つけることができず、在留資格を失い入管施設に収容された。
これはペニャさんが収容中に書いた絵だ。

左は「日本に来たばかりの自分」。料理人として自信に満ち溢れていた頃だ。そして右は施設に収容され、痩せ細った自分の姿…
ペニャさん
「これは入管の中の僕のイメージ。心痛い…」
10人部屋に割り当てられ、トイレすら職員に監視される環境に、自尊心は打ち砕かれた。終わりの見えない収容生活に耐えかね、自殺を図る収容者も見てきた。
計4年半にわたる長期収容で心をむしばまれたというペニャさんだが、2020年5月、ようやく「仮放免」になった。しかし、施設の外に出ても、働くことが禁止されているため、住む場所も、食べるものも、寄付に頼らざるを得ない。

ペニャさん
「家賃や携帯代などはボランティアさんや教会が支援してくれる。それが恥ずかしい。僕はプロのコックさんで仕事ができる。自分のお金を作りたい。僕は自分で何もできない。モノみたい。人じゃない。人間じゃない」
それでもペニャさんには、チリに帰れない事情がある。1973年、チリで軍事クーデターが勃発。ペニャさんの父親は軍部の左派狩りに協力させられた。その後、軍事政権が崩壊。父親は、軍の虐殺行為を証言した。すると軍に近い勢力から「裏切者」とされた。
ペニャさん自身もかつてテログループに捕まり、拷問を受けた。
ペニャさん
「帰れない、危ない。本当危ない」
一家は、今も命を狙われているという。

ペニャさんは難民申請をしているが、日本で認定されるのは申請者のたった0.7%。難民認定率が60%を超えるイギリスやカナダと比べると極端に低く、G7の中でも最下位だ。

ペニャさん
「パニックになって、すごく泣いたり、寝られなかったり、食べられなかったり、自殺したいと思ったり…。今まで12年間仕事ができませんでした。仕事したい、料理が作りたい…」

仮放免者に対する日本政府の対応に、国連は去年11月、懸念を表明。彼らが収入を得られるよう、制度を改善すべきと勧告した。