2022年2月に起きた「三幸製菓・荒川工場」の火災で亡くなった、パート従業員の伊藤美代子さん。68歳でした。

地域活動に積極的で、植物を育てることも大好き。
自宅には、美代子さんが育てていた植物が今も並んでいます。

【亡くなった伊藤美代子さんの長男】「花が咲くと、こんなのも育てていたんだなと思いますね」

美代子さんは、なぜ助からなかったのか、あの日何が起きたのか…。
納得のいく説明は、三幸製菓からは未だにありません。

【亡くなった伊藤美代子さんの長男】「1年間は、時間としては短かったようにも感じるが、火事の内容が完全に分からない状態で時間が流れていく中では、長い一年だったかもしれないですし…」


遺族はこの1年間、三幸製菓の対応に振り回されました。

遺族が再三要望していた記者会見が開かれたのは、火災発生からようやく3か月半後の5月でした。

【三幸製菓会見 佐藤元保CEO】「心よりおわび申し上げます。申し訳ございませんでした」


ずさんな安全管理体制が、記者会見では明らかになりました。

亡くなった美代子さんらパート従業員を避難訓練に参加させておらず、さらに、逃げ遅れの原因と思われる防火シャッターの存在も知らせてはいませんでした。

また、火災後に新潟県内にある全部で3つの工場は生産を停止していましたが、工場再開の方針が遺族への説明よりも先にホームページに掲載されるなど、遺族の不信感は募るばかりでした。

【亡くなった伊藤美代子さんの長男】「“遺族対応優先”って言われるけど、私たち目線で何かしたかと言われると、何もしてもらってないし、本当に企業目線で遺族対応をやられているな、と思う一年でした」

三幸製菓に対して遺族は、施設の安全管理体制などについて質問したり、工場の見学を要望したりしましたが、多くは“企業秘密”として断られました


【亡くなった伊藤美代子さんの長男】「掃除に行っていた母親たちに非があるわけではないと思うんですよね、この火事で亡くなったということは。年をとっているから逃げ遅れたとかではなく、電気が点いていなかったから逃げ遅れたでもなく、火の回りが早くて逃げ遅れたわけでもなく…。結局は、会社の体制やシステムがしっかりしていないから巻き込まれたと受けとめている。それが今、三幸製菓に言いたいこと」


亡くなったパート従業員4人の友人で、自身も荒川工場で火災に巻き込まれた69歳の女性は、あの日について「逃げている途中で天井に火が見えました。外に出ようと思ったら防火シャッターが下りていて、なんとか非常口を見つけて逃げました」と振り返りました。

その上で「会社は謝りませんでした。私たちは何だったんだろう。あんな思いまでしたのに…」と話し、遺族同様に会社に対する不信感を抱いています。