食事の際に聞いた「受話器破壊」自慢や「農業への興味」

普段の食事は、初めは毎日三食、宇宙飛行士専用食堂で取っていました。カツレツとか、溶かしバターをたっぷりかけたマッシュポテトやソバの実のおかゆ、野菜スープなど、栄養満点のロシア料理です。ソ連末期の経済難で店には買えるものがあまりない中、宇宙飛行士食堂は優遇されていました。

私たちの食卓は、ソ連側の秘密の話を聞かれないようにということなのか、ロシア人飛行士らとは別室でした。つまり、秋山さんと二人きりで一日三食でした(数か月後にイギリスやオーストリアの飛行士らが入所して、少しにぎやかになりました)。

食卓で22歳年上の上司のような秋山さんから振られる話題に、たじたじとすることも多かったです。

曰く、「若い記者を電話で怒鳴りつけて、受話器を親機に叩きつけて2回壊した」(自慢気でした)、「今の若い政治部記者は金丸信(当時の自民党の実力者)からハワイ土産のTシャツをもらって喜んどる、けしからん」などなど。唯一日本語で話せる相手が私のような若造では物足りなかったことでしょう。

農業に興味があることも食事の場で聞きました。岩手の方に農地を見に行ったことがあったそうです。だから後に会社を辞めて農業を始めたのは、急に方向転換したわけではなく、もともと農業をやりたい気持ちがあったところへ宇宙プロジェクトなどを通じた環境問題への意識の高まりがあり、いろいろな要素が積み重なった上での決断ではなかったかと思います。

食事はさすがに三食同じ食堂では飽きるので、だんだん昼食+時々夕食という程度になりました。代わりに週末、モスクワ市内の欧州系のスーパーに食材の買い出しに出かけるようになりました。

平日は塀の中の閉ざされた生活でしたが、週末は宇宙飛行士隊で運転手付きの車を貸してくれるという厚遇ぶりでした。秋山さんと私、車は別々です。同乗して二人いっぺんに事故死するといけないからです。

秋山さんは野菜とか果物とか、しっかり栄養を考えた食材を買い込み、自炊も苦ではないようでした。退職後に農業をしながら一人暮らしもされたことを考えれば、星の街での自炊など大変なことではなかったかも、と今になって思います。