日本経済がバブル期からバブル崩壊、長期のデフレ時代と続いたこの約40年、テレビにおける経済ニュース(番組)は、テレビニュースの中でのポジションが移り変わると同時に、伝え方も随分と変化した。11年にわたってTBS(BS)の経済番組のキャスターを務めた播摩卓士氏(冒頭の写真右)が、記者やキャスターとして携わった「経済ニュースの40年の変遷」を振り返る。

今年(2026年)3月、BS-TBSの「Bizスクエア」(土曜午前11時)という経済ニュース番組が放送を終了しました。前身の「Bizストリート」から11年にわたって番組のキャスターを務めた身として、また、入社以来、一貫して経済報道に携わったものとして、テレビ経済ニュースの現在地を少し考えてみたいと思います。

テレビに向かない経済ニュース

民放テレビ局にとって、経済ニュースは、かつて最も開拓が遅れた分野だったと言えるでしょう。私がTBSに入社した1984年当時、TBSには、まだ独立した経済部は存在せず、政経部の中に、数名の経済官庁担当記者がいるという組織構成でした。

当時の民放テレビのニュース枠は短く、元来、1つ1つが小さなニュースである経済ニュースは、放送に向かないばかりか、映像化しにくいというハンデを負っていました。事故や事件の生々しい現場や、権力闘争に向けた政治家の表情といった「絵」がないからです。駆け出しの頃、「(文字中心の)新聞ならどんなに楽だろうか」と思ったものでした。

ところがある時、大手新聞のベテラン記者に、「経済ニュースは新聞に向いてないんだよね。経済ニュースむしろ雑誌向きなんだよ」と言われ、「新聞が経済ニュースに向いていないなんて!」と驚いたことを思い出します。

その先輩は、「一つ一つの動きは小さいからデイリーの新聞だとベタ記事にしかならない。でも雑誌なら流れとして伝えられるからね」と教えてくれたのです。ハッとした私は、それ以来、「それならテレビにもできるかもしれない」と思って、長らく試行錯誤を続けてきました。

民間企業が主語のニュースが出せるのか

当時の感覚で言うと、もう一つの経済ニュースの大きなハードルは、民間企業が主語になるということでした。倒産や合併といった大ニュースはともかく、個別企業のビジネスや商品の情報をニュースとして扱うことは、なかなか難しかったのです。ニュース枠が短く、ニュース性の吟味が厳格だった当時は、そうした個別情報は企業側でCMとして流してもらうのが筋だというのが、「常識」だったように思います。

20代のころ、食品業界もカバーする農水省担当記者だった際に、アサヒビールが「辛口」を売りにした新ビールの発売を発表しました。「若い感性」を持ち合わせる年代だった当時の私は、このビールは「当たる」気がして、「これはニュースだ」と勇んで原稿を書きましたが、1社1商品のニュースが、ストレートニュースの枠で放送されるはずもありませんでした。

そのビールとは、後に、歴史的なシェア逆転を実現する「スーパードライ」(1987年発売)でした。これを先んじてニュースとして出せないのだったら、一体何がニュースなのか、と苦い思い出になりました。どういう番組、どういうニュースづくりをすれば、民間経済の「潮流」を、テレビが伝えられるのかという課題を、私に突きつけたものとなりました。