「悲しみっていうことに対して、単なるネガティブなものとしてではなくて、それをきっかけに生きていることについて思考を深めていらっしゃっていて。
 そこに、自分が絵を描いていること、生きているっていう感覚をつかもうとしていること、が結びついたというか、そこで少し共振したというところがありますね」

絵を描き始めた頃から「悲しみというものをとても大切に絵を描いているという感覚」があったという。阿部さん自身は大きな喪失経験はないそうだが、絵を描く、という行為は、”生”や””死”に直面するときの、いわば準備となりうる、という感覚を持っている。入江さんとの対話で阿部さんは、そのことを葬儀に出席した時の体験をもとにこんな風に表現した。

「弔う行為だとか、死へ向き合う態度っていうのは、一朝一夕じゃつかないんだと思うんですよね。お葬式の時だけお経を聞いても、あまり意味がない、というか、ちょっと難しいんじゃないかなって思ったので。

そのためには、自分の感覚をちゃんと持ってそれに向き合い続けることっていうのを、ある程度経験として積んでいかない限りは難しいのかなって。

で、絵を描くとかっていうのは、結構いいなって思っているんですよ。言葉で整理することではないけども、そういうことを雰囲気としてでもいいので、感じながら描いたり見たりするっていうのは、訓練とは言いたくないけど、生きる、死ぬっていうことに対して、心を開く時間にはなるので」

喪失も、悲しみも、そして生も死も、言葉で完全に割り切れるものではない。絵はその割り切れない部分に働きかけてくる。見る側にも、描く側にも。
そこには、いわゆる「リアル」とは少し違った「現実」があるのだ、と。

「現実っていうものを、センセーショナルな事実とか、具体的な出来事っていうだけに絞らないっていうのが結構ポイントだなって思っていて。

絵の世界っていうのは現実のリアリティとは別のリアリティを持っているって思っているんですね。絵の中には絵の中のリアリティがある、と。

そこのリアリティと現実のリアリティは分かれてはいつつも繋がっていると思うんですけども。強烈な実際の出来事も、それだけじゃないところの、何と言うか、生きている実感というか、そういうところをくみ取る上で、やっぱり絵っていうのも、一つの、現実を生きる方法ではある、という風には感じています。」(イベント後のインタビュー)

阿部さんが例示した「センセーショナルな事実、具体的な出来事、現実のリアリティ」。これらは我々ニュースメディアと親和性が高い。我々が日常的に使う言葉も、求める内容も極めて具象的だ。でも、その大波に晒された経験を持つ入江さんはそこに違和感を感じて来た。「それだけではないのに」と。具体的な話を聞き出そうとする我々の質問に辟易することもあっただろう。阿部さんとの対話の中でも、入江さんはこう口にした。

「抽象的に語ってもいいじゃないですか、って言うんですけど、何かすごく具体的なことばかり言わされてしまって、具体的なことの方が良い、みたいな・・・でもそうじゃない、ところもあるし。良いとか悪いじゃないんですけど・・・」

■「犯罪の被害者で未解決事件の遺族なのに、なんでアートなの」

事件報道は事実関係を扱う。そこでは具体的な話が必要になる。でなければ何が起きたかが曖昧になってしまう。しかしそれでは掬い上げられない思いが関係者・当事者の皆さんには当然ある。記者たちも折に触れて事実関係だけの事件原稿だけでなく、関係者の悲嘆や心情に耳を傾けて記事にするが、それでも報じられる側がそれを読んで違和感を感じることもあるだろう。ニュースの話法は今後も大きく変わるものではないし、その話法で分節しきれない感情・情況も残り続けるとすれば、その溝が狭まることはあっても無くなることはないのかもしれない。

そしてもう一つ、入江さんがよく口にするのは「犯罪被害者遺族らしくあるべき」という世間やメディアからの「期待」あるいは「圧力」だ。この日も、イベント開始前のインタビューでこんなやりとりがあった。

「(以前)犯罪の被害者で未解決事件の遺族なのに、なんでアートなのって社会部記者の方に聞かれたりしたんですね」

「コロナ、戦争といった様々な悲しみを体験して、アートの力が再認識されて来たんじゃないかなと思うんですが、事件当初はなかなか・・・私自身も何だかカメラを向けられると“犯罪被害者の遺族としての発信をしなくちゃいけない”っていう、自分自身でステレオタイプな発信をしてしまいがちだったりしたこともあります。」

(今はもう無くなりましたか?)
「いや、やはりあります。今日だって、 ここ(隣町珈琲)は素敵な場なので、ドリンクとかも出るんですけども、いきなりドリンクとかって言ってもちょっと不謹慎かなって思ったりしますし(笑)
自分から”自由に悲しんでいいんだ”っていうグリーフケアのメッセージを発していながら、スティグマ的なものに苦しむこともあります。」

イベントのトーク中にもこんなエピソードを紹介した。