■小さなクマのぬいぐるみ「ミシュカ」。持ち主はもう、いない
12月18日、東京品川区・中延商店街。「隣町珈琲」は、文筆家の平川克美さんが経営する喫茶店で、平川さんのエクレクティックな蔵書がフロアをぐるりと取り囲むように作りつけられた書棚に並べられている。壁にはアキ・カウリスマキの映画のポスターが何点か。その下にはジム・オルークのCDが何枚か。素敵な空間だ。

私はこの日、珈琲を頂きに来ていたのではない。時折、取材している入江杏(いりえ・あん)さん主催の集まりがここで開かれるので訪れたのだ。
集まりの名は「ミシュカの森」という。ミシュカとは入江さんの妹一家と暮らしていた小さなクマのぬいぐるみの名前だ。でも、持ち主だった一家はもういない。

入江さんの妹、泰子さんは、夫の宮澤みきおさん、長女・にいなちゃん、長男・礼くんと、東京・世田谷区で、入江さん一家の隣の家で暮らしていた。4人は、2000年12月30日の夜、家に侵入した何者かによって命を奪われた。いわゆる「世田谷一家殺害事件」。犯人は未だに捕まっていない。

入江さんは事件直後から「殺人事件の遺族であることを知られてはならない」との自分の母親(故人・事件の第一発見者でもあった)の言葉に縛られ、6年もの長い間、事件について沈黙していた。事件自体は報道合戦や好奇の目に晒され、自分のことや自分の大切な家族のことが報道やネット上など他者の言葉によって語られる一方で、自分自身は、仲の良かった妹とその一家を無残な形で前触れもなく剝ぎ取られるという大きな喪失体験について自分の言葉で語ることができずにいた。語ってはいけないものだと思っていた。
悲しみを抑えねばならなかったその時の経験が「悲しみを語れる社会に」という、今の入江さんのベクトルを形作った。徐々に公の場で語り始め、悲しみや喪失体験のケア「グリーフケア」についても学びを深めた。
■アートの力を借りて、悲しみからほどかれやすい社会になれば
入江さんは毎年この時期に主催する「ミシュカの森」を、”自由に悲しむ”ことや、悲しんでいる人の話に耳を傾けることの大切さについて語りかける場、そして悲しみで人と繋がることのできる場にしたい、との思いで続けて来た。自らが事件の遺族として通ってきた路を語るとともに、医師や小説家といった人々をゲストとして招き、様々な角度から悲しみや喪失、再生について言葉を紡いだ。
コロナの影響もあり、対面での開催は3年ぶりだ。今回のタイトルは「悲しみと表現のあわい」。”アートとケアの出会い”をテーマに据えた。意図について尋ねた。
「いろんな立場の人が自分の枠を外してコミュニケーションできる、それがアートの大切なところ、生きる共通体験ができるということじゃないかなと思うんですね」
「社会の中で言いたくても言えない悲しみを抱えている人がいる中で、何かこう、分断されてしまって言えない気持ちを抱えた人が、アートの力を借りて、少し話しやすい社会、悲しみからほどかれやすい社会になればいいな、という思いを込めて」
アートもケアも、「どちらも生きることに共通の根を持っている」と入江さんは話す。自身もアートセラピストの支えも受けてきた。今回のゲストは阿部海太さん。入江さんの最新著書のカバーや挿画を描いている36歳の画家で、普段は岐阜県郡上市の山間のアトリエで創作活動を行っている。

この週、ちょうど阿部さんの個展が東京・中野区で開かれていたので「ミシュカの森」の前々日に訪ねてみた。
新井薬師駅前の、まさに典型的な”日本の商店街”を歩いていると不意打ちを喰らわせるかのように現れるのが「ギャラリー35分」。写真家の酒航太(さけ・こうた)さんが運営するこの小さなギャラリーが元はDPE店だったことはその外観から一目瞭然だ。隣のバーとつながっていて、そちらにもまるでギャラリーがはみ出したかのように絵が飾ってある。



阿部さんの個展「洞より来たる仔」に集められた作品の多くには子どもが描かれていた。ある絵では一本の木の根元に。別の絵では煌めく赤や黄色の中に。


メインのギャラリーとバーとの接続部にかかっていた、月夜の森で子どもと動物が佇んでいる絵がひときわ印象に残った。
■”答えではないが糸口”が書かれている本ではないか
埼玉のニュータウンに生まれ、自分の「ルーツ」の希薄さを実感するが故に「人は何処から来て何処へ行くのか」を問いながら絵を描いてきた阿部さん。「”生きている”ということを自分としてどう捉えて行くか、を通奏低音として、ずっとやり続けている」と語る彼には最近、第一子が生まれた。改めて生命の円環/循環を感じて、それがこの個展にも反映されているという。
入江さんとのつながりは、著作「わたしからはじまる」の挿画の話が来たことがきっかけだった。描くからには、と本を読み始めたところ、自分が考えていたことの”答えではないが糸口”が書かれている本ではないかと」感じたそうだ。

入江さんのどこに共振したのか、聞いてみた。