裁判に勝って判決に負けた

横浜軍事法廷

岡田中将の戦犯裁判では、空襲の被災状況の数字が提出され、市井の人たちが無差別爆撃による被害を証言した。家族を奪われた人や腕を失った人、民間施設でこども達が犠牲になったのを目の当たりにした人などが法廷で生々しく状況を語ったという。

<わがいのち果てる日に 田嶋隆純1953年>2021年復刊講談社エディトリアル
A級を含めたすべての戦争裁判において、戦勝国の非を飽くまで攻撃するだけの胆力を持った被告はほとんどなかったといわれている。当然それは自分の首を賭けた自殺行為であり、仮に意気込む者があっても、弁護士がそうはさせなかったであろう。例えば横浜裁判で、長崎のある海軍俘虜収容所付き兵曹長が虐待の全責任を負わせられてしまったのに業を煮やし、家族九人、全部殺されてしまった原爆の非を法廷で鳴らそうとして、たちまち判士長より中止を命ぜられたという例もある。
しかし、岡田氏の場合は、それができた。というのが、氏が旧部下一同と米人弁護士団に初対面するや、開口一番、私個人の弁護は考えないでもらいたいと挨拶した如く、捨て身に徹底していたため、その心情に対し判士団も検事団も、深く敬意を表していたからである。「裁判に勝って判決に負けた」とは、氏が常に語ったところであった。