東京裁判で戦争犯罪に問われたA級戦犯は、日本の指導者たちだったが、BC級戦犯とされた人たちは、総じて「普通の人」たちだった。故郷では親しみある隣人で、人望もあり、家庭では優しい父、兄、弟だった人たちは、捕虜となった敵国の兵や、戦場となった現地の民間人を殺害し、虐待行為に及んだ。多くは上官の命令に忠実に従った人たちだった。アジア・太平洋の各地で裁かれて処刑されたBC級戦犯は920人に上る。しかし、彼らが何をしたのか、何が戦争犯罪に問われ、どのように裁かれたかは、大部分が検証されず、遺族にも知らされないままに長い時間が過ぎた。戦争犯罪に詳しい恵泉女学園大学の内海愛子名誉教授が、「見過ごすことができない」というBC級戦犯の記録から読み取ったこととはー。

米軍の「とどめ」スガモプリズン最後の処刑

スガモプリズンの絞首台跡に建てられた碑(東京都豊島区・東池袋中央公園)

1941年生まれの内海愛子名誉教授は、戦後80年の節目だった去年、「スガモプリズン 占領下の『異空間』」(岩波新書)を上梓した。1945年11月、米軍は東京都豊島区にあった東京拘置所を接収してスガモプリズンを開所した。絞首台があった場所は、いまは東池袋中央公園となっている。

スガモプリズンの入所者で死刑執行されたのは、A級7人とBC級53人のあわせて60人。最初の死刑執行は1946年4月26日、福岡県大牟田市にあった福岡俘虜収容所第十七分所の所長、由利敬中尉だった。そして最後の死刑執行が4年後、1950年4月7日の石垣島事件7人だった。内海名誉教授は、石垣島事件の死刑執行のインパクトについてこう語る。

恵泉女学園大学 内海愛子名誉教授
「巣鴨プリズンでの最後の処刑でしょ。もう処刑はないと思って、巣鴨の中がわりとほっとした雰囲気の中で、最後の処刑が石垣島事件なんです。だからそれが与えた衝撃は、ものすごく大きいと思います。アメリカにとって日本の戦争犯罪の最大のものは、捕虜虐待です。それも石垣島は最後のとどめですね。そういう形での処刑が行われたと思うんです」