「被災者のために」自主停電に努め・・・

2011年3月11日、東日本を襲った巨大地震と津波、それに伴う原発事故などにより、戦後最悪となる2万人超の死者・行方不明者が出た。最大で12市町村が帰還困難区域に指定され、復興庁によると現在も約2万6000人が避難生活を余儀なくされるなど、多くの人々が故郷を追われることに。

直後から、皇室も国民の悲しみと向き合った。皇居は計画停電の対象外エリアだったが、期間中タイミングをあわせて自主停電を徹底したほか、当時の天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)は発災5日後、国民に向けたビデオメッセージを公表。側近経由ではなく自身の肉声で伝えたいという思いがあったという。自衛隊や警察など現場で日夜活動にあたる人たちへの感謝を伝えたほか、国民が手をとりあって心を寄せることの大切さを述べられた。1か月後には、美智子さまとともに、7週連続で被災地を訪問。おふたりはすでに80歳近かったが、「被災者のために」という思いで怒濤のスケジュールを敢行された。

当時の皇太子ご夫妻=現在の両陛下も思いを同じくしていた。赤坂の東宮御所では、当時小学生だった愛子さまとともに積極的に自主停電に努められていたという。また、即位後も含め、この15年に何度も現地を訪問された。初訪問となった2011年6月には、宮城県の避難所などを訪ねられた。おふたりは、涙を流す被災者の肩に手を添えたり、手を握ったりしながら「つらかったでしょう。今まで我慢されていたのでしょう」「力を合わせてお大事になさって下さい」など、励ましの言葉を掛け続けられた。その後も、計10回にわたって東北3県の被災地を訪問された。

▲復興のシンボル「奇跡の一本松」。2023年「全国植樹祭」で岩手県を訪問した際。両陛下は高さ27mの大木を何度も見上げられていた。この時の植樹祭で陛下が手植えされたアカマツは一本松のDNAを継ぐもので、その後、一本松のそばに植えられた。市などによると、そうした「後継樹」が複数あり、今後そこから新たに種が取れる見込みもあるという。元の一本松自体はすでに枯死しているが、その“子孫”となる後継樹がこれからも生き続けていく。まさに「震災の記憶を継承する」を体現する事象だ。