実業団ランナーとしての喜びと7秒差で逃した日本代表
2018年に日本体育大学を卒業後ダイハツに入部した細田。21年の2月からはエディオンに移籍すると去年11月のクイーンズ駅伝ではチームの悲願である初優勝に貢献。細田は5区で2年連続区間賞を獲得し、同大会でのMVPに輝いた。
細田:去年に関しては、クイーンズ駅伝を1番大きな目標として掲げていたところで、優勝できたことは素直に嬉しかったというのがありました。
記者:若いメンバーもいる中での優勝でしたけど、後輩たちへの思いは?
細田:エディオンというチームは自分の目標もあったりするんですけど、相手を思いやれるすごくいい子たちだし、練習になったら切り替えて集中力が高い子たちが多いので、チームとしても本当にいいチームだと思う。自分が抜けても、心配いらないというか(笑)どんどん強い子たちが、出てくると思います。去年優勝して、プレッシャーやいろんなものを感じることもある1年になるかもしれないんですけど、そういうことも含めて成長できると思うので、見守りたいなと思います。みんな本当にすごいです。(東京陸世界陸上)代表になった矢田みくにだったり、今すごく力をつけている水本(佳菜)だったり、その2人が中心でこのチームを支えていっている。平岡(美帆)とかは元々集中力がすごく高い子なんですけど、駅伝前は特に集中力が高くてチームを引っ張っていくような姿もあったので、また頭角現してくるだろうなっていうのは勝手に思っています。それぞれみんないいところもあるので、そこをどんどん磨いていければ、絶対伸びるなというのはある。そこに気づいて、進めていければ伸びる選手はたくさんいるんだろうというのは思っています。
記者:細田あいの人生を振り返った時、最後に思い返すのは?
細田:悔しかったことはたくさんありますね(笑)。MGC(23年10月パリ五輪選考会)の年は怪我をしていて、本当に急ピッチで、もう1か月ぐらいで仕上げてのレースだったので、無事にスタートしてゴールできれば文句ないというか、それぐらいの状態ではあった。想像以上に結果は良かった(7秒差の3位)。思ったよりはいけたけど、あと数秒だったとかそういうのを考えると、悔しい経験だったかなというのは感じますね。
MGCで2位以内となればパリ五輪代表内定となり、日の丸を背負い走る夢が叶ったかもしれなかったが、わずかに7秒届かなかった。それでもパリ五輪の補欠メンバーとして走る準備をしてきた事が24年9月のベルリンマラソンでの自己ベストに繋がった。
細田:元々メンタルもそんなに強いタイプではなく、どんどんネガティブになっていく方ではあるので、チームメイトだったり家族、友達などいろんな人に助けてもらって、前を向かせてもらってました。自分だけでは、苦しい時期を絶対に乗り越えられなかったと思うので、支えてくれた人たちのおかげだと思っています。

















