練習機は「赤とんぼ」 “子ども”がひとりで大空を飛んだ
少年兵になるには、少年飛行兵学校の試験に合格しなければならない。滋賀県の大刀洗陸軍飛行学校(本隊は福岡県)に出向き、厳しい適性検査を経た。合格者は、操縦・通信・整備に振り分けられ、上野さんは操縦要員となった。パイロットだ。
太平洋戦争の戦況は、すでに悪化の一途をたどっていた。
1944年、上野さんたち少年兵は、京城に送られた。京城とは、今の韓国ソウル。16歳になったばかりの頃だった。
「赤とんぼに乗って練習を始めた、それが飛行機乗りの初めです」
上野さんが言う「赤とんぼ」とは「九五式一型練習機」、橙色の機体に二枚の翼があることからそう呼ばれていた。
「当時は数え年で17歳。でも今の年齢で言えば16歳でした。まだ子どもでしたね」
少年飛行兵が強いられたのは、詰め込まれた飛行訓練。息をつく暇もないほど過酷だった。














