シリーズ「戦後80年を超えて‥パイロット“生きる”ことの尊さ」【第1話】
特攻。
第二次大戦下、航空機や小型艇に若き命を乗せ、敵軍に体当たりをする特別攻撃だ。
特攻は若き兵士たちの「志願」によって敢行された。6000人以上が国のためだと命を捧げ、散っていった。
特攻に志願した兵士の中には、成人に満たない少年たちまでもがいた。
その体験を語り継ぐ人は少なく、今なお証言ができる貴重な当事者の声に耳を傾けた。
戦争を知る“最後の語り部”の記憶 少年が空を目指した日
「そこからが始まりでした」
97歳の上野熊辰さんは穏やかな表情だった。しかし語る内容は、現在の日本では想像しがたい、非日常ともいえる事実ばかりだ。
戦争を「知っている人」が、急速にいなくなっていく時代。書物でも、映像でもなく、“生きた声”として戦争を語れる人は、もはや数えるほどしかいない。
特攻少年兵だった当事者の証言は、殆ど残されていない。また、現在では直接聞くことができる機会は殆どない。
上野さんは1928年(昭和3)年、山口県に生まれた。
小学校2年生の頃、父の仕事の都合で満州へ渡り、その後は、中国大陸の天津、北京と移り住んだ。天津では鉄道事故で父を亡くし、義兄を頼って北京で暮らす中、中学3年生の時に街で目にしたある広告が、運命を大きく変えた。
「中学3年の時ですね。街で、少年飛行兵の募集を見たんです」と上野さん。
「飛行機に憧れがありました。軍人になろう、と」














