「涙が止まらなかった」あの人物の子孫、130年の時を超えた墓参り
「七士の墓」は、元宮城刑務所職員で郷土史家の柴修也さんが、1990年に長年の調査をまとめ、『西南戦争余話 宮城県に配置された国事犯』を発表したことで注目された。
折しも大河ドラマ「翔ぶが如く」の放送と同じ年で、南日本新聞などで取り上げられて鹿児島でも光を浴びた。
明治10年(1877年)の西南戦争。それは西郷隆盛と彼を慕う士族たちが政府軍と戦った国内最後の内戦で、武士による最後の戦いだった。 戦死者は、政府軍が約6,400人、西郷軍は約6,800人にのぼる。
多くの血が流れたあの年から約130年後の2008年、この歴史に最も深い縁を持つ人物が、初めて七士の墓を訪れた。
西郷隆盛のひ孫にあたる陶芸家の西郷隆文さん(78)だ。
2008年、ある七士の子孫から「先祖が宮城に眠っている」と聞いた西郷さん。宮城で亡くなった13人の国事犯のうち、7人は引き取り手がないまま残されたことを初めて知った。
「西郷の子孫として、どうしても行かなければならない。そういう思いです」
七士の墓前で手を合わせると、涙が止まらなかったという。
「西南戦争で敗れて裁判にかけられ、遠い宮城まで連れて行かれた。無念だったと思います」
宮城に送られた305人が、囚人としての身に甘んじず、開墾や港湾工事などの労役を自ら願い出たという史実に、隆文さんは先人たちの気概を感じ取っている。
「まさに薩摩の武士だと感じました」
瑞鳳寺によると、七士のなかには子孫が名乗り出て、墓の土などを鹿児島に持ち帰った例もあるが、まだ残ったままの人もいるという。
東北で命を落とした七人。そして、彼らの無念を晴らすかのように、この地で人々のために力を尽くした仲間たち。

140年以上の時を超え、木立の中に立つ七つの墓は、たとえ囚人として異郷にあっても誇りを失わず、懸命に生きた人たちの矜持を今に伝えている。

















