極秘の指令書 任務はアメリカでのスパイ活動
そんな健吉に重大な指令が出されたのは1941年1月のことだった。赤い文字で「極秘」と記された陸軍参謀本部からの指令書には、次のように書かれていた。
「對米諜報に任スベシ」
日本の南進政策で緊張が高まっていたアメリカに渡り、「諜報」つまり「スパイ」活動をするのが健吉の任務だった。
健吉が拠点にしたのはニューヨーク、エンパイアステートビルにあった三井物産のオフィスだ。ここに机を置き交友関係を広げていった。遺品からは真珠湾攻撃の半年前にニューヨークで開かれた晩餐会の写真も出てきた。そこには両国の緊張緩和を託された野村吉三郎大使ら日米交渉を担当する重要人物にまざって、健吉の姿が写っていた。アメリカ社会に溶け込み、国力を密かに分析した。

















