「私は台湾生まれの日本人」103歳の元日本軍属が語る拷問

台湾南東部、台東市沖に浮かぶ緑島。リゾート地として内外の観光客の人気を集める。

「緑の島」という平和なイメージとは裏腹に、かつては「政治犯の島」と呼ばれていた。

日下部正樹キャスター
「ここには政治犯として緑島に収容されていた人たちの写真が貼られているんですが、名前の下のそれぞれ刑期ですよね。12年、8年、10年と非常に長い刑期を過ごしたわけです」

国民党独裁下の権力による人権弾圧を「白色テロ」という。1990年代に民主化されるまで、約40年間続いた。

政治犯収容所は現在、「人権博物館」として市民に公開されている。この建物は50年代の収容所を復元したものだ。

国家人権博物館 呂鴻祺さん
「当時、ここに120~150人が収容されていました。中には日本の教育を受けた人、かつて南洋や中国大陸に兵士として行った台湾籍の日本兵・軍属が含まれています」

国民党は日本の植民地時代の制度や文化を「遺毒」と呼び、その一掃を図った。日本式の教育を受けた知識人、元日本兵が弾圧の対象となった。

政治犯として緑島に収容された元日本兵がいる。

楊馥成さん(103)。日本軍の軍属としてシンガポールの補給部隊にいた。

終戦後、台湾に戻った楊さんは国民党の腐敗ぶりに絶望し、日本への密航を企てたが失敗、逮捕された。

楊馥成さん
「拷問は何回もありました。ひどい非人道の拷問。あの時、木刀で叩かれて痛い。叩かれて腫れてね。1週間くらい起き上がれない」

政治犯としての収容所生活は7年間に及んだ。「私は台湾生まれの日本人」と言う楊さん。「大井 満」は楊さんの日本名だ。

楊さんは日本政府を相手取り、日本国籍の確認を求める裁判を起こしたが、2022年に棄却された。

今も戦後、日本国籍を取り消されたことは「棄民」だと考えている。

楊さん
「戦後、台湾に帰ってきたらいつの間にか国籍が無くなっていました。棄民となったために、当時台湾に占領に来た蒋介石の軍隊から我々はどれだけ虐められてきたことか。おそらく日本の方々もわからないでしょう」

多くの元日本兵が迫害を受けた「白色テロの時代」。その発端となった事件がある。