「ご苦労様でした」その一言が欲しい…元日本兵の苦難
台北郊外。戦後、台湾に戻ったものの、当局によって処刑寸前だった元日本兵がいる。
蕭錦文さん(98)。16歳の時、親族に内緒で陸軍に志願した。

蕭錦文さん
「大日本帝国軍の軍人になるつもりで志願した」
――軍隊の訓練は厳しかったでしょう?ビンタはいつもですか?
「ビンタはもう朝飯前ですよ」
元日本陸軍の軍人だった蕭錦文さん。ビルマ戦線に送られ、悪名高いインパール作戦にも参加した。兵站を無視した無謀な作戦で総崩れとなり、3万人以上が戦死した。

これは作戦の前、ビルマで遺影として撮った写真だ。
蕭さん
「インパール作戦ですか、参加しましたよ。もうなかなかきついですね、あの作戦は本当に。戦争は絶対やるもんじゃないと思った」
まさに死線をさまよった蕭さん。命拾いしたと台湾に戻ったが、待っていたのは当局による厳しい弾圧だった。
日本の敗戦により、台湾は中華民国に接収された。蒋介石率いる国民党による統治が始まったのだ。
歓迎する市民もいたが、外から来た少数派が台湾を支配する構図は日本時代と変わらなかった。ましてや、元日本兵にとって国民党軍は昨日までの敵だった。

蕭さん
「国民党に反駁するものは皆殺してしまうんですから。理由はない。捕まえて殺すだけで。私も捕まえられた」
戦後、新聞記者になった蕭さんはある日突然、拘束される。拷問を受け、目隠しをされ処刑場に向かう途中、裁判抜きの処刑を禁ずる新たな通達が出て、九死に一生を得た。
蕭さんは日本の軍人だったことをいまも誇りに感じている。
しかし、元日本兵たちが迫害されていた時、日本政府が何の手も差し伸べなかったことを忘れることは出来ない。

――戦後、台湾でご苦労されているとき日本政府は何かしてくれましたか?
蕭さん
「日本政府は何もしてくれません。もう見捨てられてしまった」
――もう遅いかもしれないけれど、日本には何をして欲しいですか?
蕭さん
「もう100歳になるもんですから。過去は『ご苦労様でした』と、その一言が欲しい」














