「ゼネコン汚職事件」で大物知事や市長を相次いで摘発

もともと「十年働いたら弁護士になる」と心に決めていた猪狩は、1990年に検察庁を退官。49歳で弁護士へと転じた。そして、時代がバブル崩壊へと傾きつつあった1993年、二人は再び運命の交差点に立つことになる。

熊﨑は東京地検特捜部の副部長として、自民党の実力者であった金丸信・元副総理による巨額脱税事件を摘発した。“政界のドン”と称された金丸元副総理の逮捕は、日本中に大きな衝撃を与えた。
さらに、大手ゼネコンに対する一斉家宅捜索では、後の展開を決定づける数々の“宝の山”が押収される。「金丸脱税事件」を導火線として、捜査は一気に「ゼネコン汚職事件」へと拡大していったのである。

実は、「ゼネコン汚職事件捜査」の裏側には、知られざる捜査秘話があった。突破口となったのは、大手建設会社「ハザマ」への家宅捜索で押収された、たった一枚の資料だった。

特捜部の谷川恒太(32期)が、その中から「仙台市長 3,000万円 本田」と記されたメモを見つけ出したのである。

本田とは、「ハザマ」会長の本田茂を指す。このメモは、同社から仙台市長へ裏金が流れたことを示す有力な物証だった。しかし、肝心の「ハザマ」幹部は頑として口を割らず、捜査は難航を極めていた。

当時を、熊﨑はこう振り返る。

「物証はそろっているのに、とにかくハザマ側が自供しない。しびれを切らした私は、キャップのヤマシュウ(山本修三検事)にこう言い放った。『やれないなら、それでいい。全部やめちまえ。あとは自分の責任で調べろ』」
「そう言い残して庁舎を出た直後だった。ポケベルが鳴り、ヤマシュウから緊急の連絡が入った。『大変なことがわかりました。ハザマだけじゃありません。清水、西松、三井からも金が出ています』ーー“これは、とんでもない事態になる”。あのときの衝撃は、今でも鮮明に覚えている」

このとき、山本修三が「ハザマ」社長・加賀美彰から引き出した「自白」こそが、事件の核心だった。

「カネは仙台市長の石井宛てだが、やっていたのは、うちの会社だけじゃない」

衝撃的な供述だった。「ハザマ」だけでなく、「清水建設」「西松建設」「三井建設」の計4社が、総額4億円もの裏金を用意し、仙台市長に渡していたことが明らかになったのである。つまり、ゼネコン各社が「ジョイント」を組み、組織的に仙台市長へワイロを提供していたのだ。

元特捜幹部は、当時のゼネコンの手口をこう証言する。

「東京・赤坂の日商岩井ビル12階に入っていたレストランの奥の部屋に、ゼネコン4社が集まった。そこで総額1億円をトランクのようなものに詰め、それを仲介役である仙台市長の娘婿に丸ごと託した。『これを市長に渡してください』と手渡しで頼み、娘婿を通じて石井市長本人に届けられた」

特捜部が当初把握していたのは、「ハザマ」から市長へ渡った「3,000万円」にすぎなかった。それが、山本による取り調べを通じて、ゼネコン4社が“ジョイントを組んで総額1億円のワイロ”を渡していたことが発覚したのである。

これは、当事者以外には知りえない「秘密の暴露」だった。そして、事件の構図を一気に浮かび上がらせる、決定的な証拠となった。

「ハザマ」加賀美彰社長を取り調べた特捜検事・山本修三(28期) ゼネコン汚職事件でキャップを務め「ヤマシュウ」と呼ばれた
「1億円」のワイロ提供を自白した「ハザマ」加賀美彰社長(当時)