なぜあえて選挙前に強制捜査に踏み切ったのか・・・

実は、強制捜査に踏み切るにあたって、特捜部には大きな懸念があった。

7月には衆議院議員総選挙が控えていた。「リクルート事件」から「金丸脱税事件」へと、政治とカネを巡る不信が頂点に達しつつあり、自民党の55年体制が維持されるのか、あるいは政権交代が起きるのかが最大の争点となっていた。

特捜部は、政治家案件の強制捜査については「国会審議への影響」や「選挙妨害」といった批判を避けるため、政治日程を慎重に見極めて着手の時期を決める――それが原則だった。

さらにもう一つ、組織の事情もあった。7月1日付で特捜部長が交代し、「金丸脱税事件」などを手がけた五十嵐紀男(18期)から、宗像紀夫(20期)にバトンが渡る予定だったのである。そのため「新体制に移行してから動けばよいのではないか」という声も出ていた。

しかし、今回は事情が違っていた。

「衆議院選挙の前に、政治家の絡む大型事件を仕掛けるべきかという慎重論は、検察首脳にもあった。だが選挙まで待てば情報が相手に漏れて、証拠隠滅、被疑者の自殺の危険すらある。早く動かなければ、事件自体がつぶれる可能性があった」

ーー熊﨑は、当時の判断をそう振り返る。

そして1993年6月29日。特捜部はついに強制捜査に踏み切った。
政令指定都市・仙台市の市長、石井亨を、ゼネコンから総額1億円を受領した収賄容疑で逮捕したのである。

この着手日が6月29日に設定されたのは、偶然ではない。この日は、ゼネコン各社の役員がほぼ確実に顔をそろえる「株主総会」の開催日だった。

熊﨑は、その狙いをこう明かす。

「株主総会であれば、贈賄側であるゼネコンの役員が全員そろう。確実に身柄を押さえることができる。ただし、総会前に動けば混乱は避けられない。そこで、総会後、取締役会が終わった直後を狙った」

もちろん捜査は、そこで終わらなかった。
特捜部は7月23日、国会議員も務めた大物の茨城県知事・竹内藤男を、「ハザマ」から1,000万円を受領した収賄容疑で逮捕。さらに夏休みが明けた9月20日、竹内に1,000万円を渡したとして、日本建設業団体連合会会長というポストにある建設業界の重鎮である「清水建設」会長・吉野照三を贈賄容疑で逮捕した。

熊﨑は、各ゼネコンからワイロを受け取った仙台市長、茨城県知事、宮城県知事ら、錚々たる大物首長やゼネコンのトップを次々と立件していく。こうして東京地検特捜部は、“最強の捜査機関”との評価を、あらためて世に知らしめることになった。

ゼネコンからの1億円の収賄容疑で逮捕された仙台市長・石井亨(1993年6月29日) (のちに有罪確定)
ゼネコン汚職事件を指揮した宗像紀夫特捜部長(20期)