村の歴史民俗資料館の館長で、文化財の保護にも携わる山崎洋文さん。村内の神社で宮司も務めていて石碑を拓本に残すことを提案しました。

筑北村歴史民俗資料館館長 山崎洋文さん:「慰霊のなんていうか結晶みたいなものだからね。できればどんなことしても残したかったんだけど、いろんな事情で形あるものは壊れるから。亡くなった人たちの魂っていうのは生きている人の中で一緒に生きているんだよね。覚えている人たちが亡くなっちゃうと。記憶と一緒に本当になくなっちゃうから。残してやんないとね。大騒ぎのようだけど供養だでね」

坂北地区で先週行われた拓本。担ったのは千葉県で長年、文化財の発掘調査に関わる白鳥章さん。
白鳥章さん:「(拓本は)今まで道祖神とか二十三夜塔はあるんですけども、これだけのものは私も初めてです」
忠魂碑に和紙を当て、霧吹きで水をかけながら空気を抜いて密着させ、専用の道具を使って墨をつけて、丁寧に文字を写し取ります。

坂北地区の忠魂碑は1942年、太平洋戦争の最中に建てられました。
同じく取り壊される本城地区にある碑は、大正時代の1920年に建てられたものです。

村はこの場所に来月、新たな慰霊碑を建てる計画で、遺族会は今後、共同で管理していきたいといいます。














