当時の制作者がレスキュー!廃棄を免れたレリーフは…?

中本敬章さん
「上下、わかんなくなるんで、頼むね。もうこうなったらわけわからん。ジグソーパズルより難しくなる。どう考えても」

敬章さんは、中学2年の時に、このレリーフを作った生徒の一人。廃棄されると報道で知り、なんとかしたいと一念発起。関係者と交渉して、急遽、広島に持ち帰ることになりました。

自身が彫ったという1枚を剥がしてみると…?
中本敬章さん
「(裏の名前が)違いますね。惜しいな、こんな感じのを彫ったと思ったんですけどね。(自分のが)なかったりして。ハハハ」

原爆の図丸木美術館 岡村幸宣学芸員
「レリーフを実際に作られた方たちが、これを守りたいという風に声を上げて下さって、地元の廿日市で、また見られる状態になっていくということは、美術館としては嬉しいことだなと」

11月最後の土曜日、レリーフの修復作業のために、朝から50人のボランティアが集まりました。中本さんの本業は、足場板をリユースする会社の経営者で、必要な技術や資材、場所がそろいました。