【手記の朗読 全文】

令和3年2月9日、朝5時49分。鹿児島市大竜町の国道10号線の交差点で、自転車に乗っていた長男の大喜は、飲酒運転の車に衝突され死亡いたしました。

あれから4年と9か月が経ちました。鹿児島大学の獣医学部に通っていましたので、生きていれば大学6年生で、まもなく卒業を迎えることになります。しかし、私たちの記憶は、当時の大学1年生の姿で時が止まったままです。

2月9日の朝、私が仕事の支度をしている時に突然携帯電話が鳴りました。それは、大喜が鹿児島市の下宿先でお世話になっている知人の方からでした。

「息子さんが家の前の道路で事故にあったらしいよ。次の交差点のところまで飛ばされたみたいで、意識がなく呼吸もしていないらしいよ」と、慌てた様子で連絡を受けました。一瞬で目の前が真っ暗になり、息苦しさと悪い予感に押しつぶされそうになったのを覚えています。

家の神棚に命が助かることを祈念し、急いで家内と次男とともに車で鹿児島に向かいました。途中、警察の方から何度も確認の電話があったものの、詳しい容体については聞かされていませんでした。

「どうか命だけは、どうか、命だけは助けてください」

何度も神様に祈りながら搬送先の病院に到着しました。「命が繋がっててほしい」そんな私たちの願いもむなしく、大喜はすでに息を引き取っていました。

大喜が安置されている部屋で、静かに目をつむって横になっている息子と対面をしました。「なんでこんなことに、なんでこんな姿に…」事情が理解できず、悲しみと絶望で胸が締め付けられる思いでした。

顔はきれいにふかれて、体もまっすぐに整えてありましたが、医師と看護師から、頭部を激しく打ち付けたことが致命傷になったこと、体中のいたみが激しく、特に左足が複雑に骨折していたことを告げられました。

そのあと警察の方が来られ、「息子さんが自転車で青信号を渡ろうとしていたら、飲酒運転で赤信号を無視してきた車にひかれました。そのまま車は逃走し、先の交差点で信号待ちをしている車に衝突して停車していました。息子さんに過失はありません。悪質な事故です」と、事故の様子を教えていただきました。

大喜は、高校卒業後、1年間の予備校生活を経て、令和2年4月に念願の鹿児島大学獣医学部獣医学科に入学を果たしました。当時コロナウイルス感染症が蔓延しており、リモート授業が中心で、できる範囲の中で授業や実習が行われていました。

そんな中、大型の動物の馬に興味を持ち、将来は馬に関する仕事に就きたいと思うようになったようです。また、馬の世話をして馬術を磨きたいと考えるようになり、9月より馬術部に入部をしておりました。

その後、部費をまかなうためにアルバイトをしたり、エサの搬送の手伝いをするために自動車学校へも通ったりするようになりました。そのような忙しい生活も、本人にとっては、充実した大切な時間だったようです。

事故当日の朝も、馬のエサやりに、朝早く下宿先を出て学校に向かっている時でした。歩行者側が青信号になって、大喜が自転車で渡り始めた時、飲酒運転で信号を無視して交差点に侵入してきた車に、大喜は衝突されました。

時速93kmのスピードで、激しい金属音とともに、自転車は反対車線の遠くの方に飛んでいき、大喜は車のどこかに引っかかったのか、さらに150m先の交差点のところまで車で運ばれ、無残な姿で振り落とされてしまいました。

その場に居合わせた方が救急車を呼んでくださり、大喜が後続車の被害にあわないよう、身を挺して大喜を守ってくださっていました。その方は裁判の時の証言で、「操り人形の糸を切った後のような姿で横たわっていて、触ってしまうと壊れてしまいそうで、心肺蘇生もできなかった」とおっしゃっていました。

また、大喜が亡くなったことで、心肺蘇生をしなかったことは間違っていたのではないかと苦しんでおられることも後ほど知りました。事故に遭遇したことで、この方の心に大きな傷を背負わせてしまうことになり、大変申し訳ない気持ちになりました。

しかし、本来このような対応をしないといけないのは、大喜に衝突した加害者のはずです。加害者は、大喜を振り落とした後も止まることなく、さらに先の交差点まで進み、違う車に衝突をして停止していました。

停止しても大喜の救護に戻るわけでもなく、しばらく車から出ずに、フロントガラスや携帯電話、ドライブレコーダーを殴打して破壊をするという行為を行っていました。

また、裁判では、ブレーキは故障していないにもかかわらず、「ブレーキが効かなかった」と証言しました。さらに大喜が振り落とされる直前に、道路脇の縁石に車がぶつかった跡があり、「車をぶつけて止まろうとした」とも証言しました。

「前の車に衝突して止まったあとは、気が動転していた。友人から電話があると嫌なので、携帯電話は破壊した」などとも証言しました。どれも納得のいく証言とは受け止めることができませんでした。

飲酒運転がバレるのが怖くて、逃げられるものならば、なるべく遠くに逃げてしまいたい。車に乗っている大喜を振り落とすために、車を縁石にぶつけて振り落としたい。携帯やドライブレコーダーなど、証拠になるものは残しておきたくない。そのようにしか考えることができず、加害者の発言は、ただの言い逃れにしか聞こえませんでした。

このような重大な事故を起こしておいて、救護もせず、自分の身の保身しか考えていない。そのような人の尊厳を踏みにじる行為に、今でも激しい怒りと憤りを感じています。

その後、道路交通法違反と救護義務違反を合わせて、刑が9年10か月と確定しました。大切な息子をこのような形で失った私たちにとって、判決内容はとても納得のいくものではありません。これまで懸命に努力を重ねてきた息子の命が奪われて、これだけの償いで済まされるのかという悔しさ。そしてこの量刑では、これからも同じ過ちは繰り返されるのだろうというむなしさを感じました。

飲酒をするのも自分の意思、お酒に酔って車に乗るのも自分の意思、赤信号を無視するのも、大喜をひいたあと逃げ去るのも自分の意思です。今回の事故は、危険運転どころか、全て自分の意思で行った無差別の殺人だと考えています。大喜が車にぶつかった音で、他の交差点では、急いで横断歩道を渡る人もいたことから、大喜が無事でも他の誰かが交通事故に遭っていた可能性は高かったと思います。

今回、交差点の定点カメラや車のドライブレコーダーの記録が、事故の大きな証拠となりました。加害者の車にもドライブレコーダーの記録がありましたが、大喜に衝突する直前で、なぜか記録が消えてしまっていました。このあとの記録が残っていれば、衝突後の大きな証拠となり、加害者の発言の矛盾点も追及できたかもしれません。

全ての裁判は終わり、弁護士の先生と「やれるだけのことはやった」という気持ちはあります。しかし、いくら頑張っても息子が帰ってくるわけではありません。残るのは息子のいない現実だけです。

大喜の事故の後も、飲酒運転で亡くなる人が、まだまだ後を絶ちません。減り続けてきた飲酒運転の事故も、ここ近年増加傾向にあるとも報じられています。私たちのように辛くて悲しい経験をする人がいなくなるのは、まだまだ先の話のようです。

事故の前日、息子から電話がありました。

ちょうど後期試験が終わって、明日から部活を再開すること。馬術の大会が直前であったけど、試験が無事終わってほっとしたこと。馬術の腕前もだいぶ上達してきたこと。車の免許が取れたら車を買って通学したいけど、とりあえず自転車を新しく買い替えたいこと。そんなたわいもない話をして、電話を切りました。そんなたわいもない会話が、今では愛おしくてたまりません。

あの時に時を戻せたら、あの時の幸せな時に戻れたらと、今もずっと考えています。