迫害されていた「手話」
仙台市青葉区国分町にあるBAR「セイム」の店主、加賀高陽さん。県の聴覚支援学校などで勤務した元教諭です。昭和初期より前、聴覚障害者とのコミュニケーション方法は、手話ではなく口の動きなどから言葉を読み取る口話教育が主流だったといいます。

加賀高陽さん:
「手話は猿真似だからやめろと、口話が主流で迫害されていたわけです手話は。でも根強く、ろうの人たちが手話は自分たちの文化だということで続いていた」

現在では言語の一つとして認識されている手話。実は、その原点となる人物は仙台と深く関係しています。
加賀高陽さん:
「その2人のきっかけがなければ今、日本で使っている手話はない」

東北学院大学土樋キャンパスにある東北学院史資料センターです。ここでは、東北学院の歴史に関する資料が展示されています。
東北学院史資料センター 安部茂徳課長補佐:
「高橋さんと大曾根さんの展示はこちらになります」














