手話の基礎を築いた2人
仙台市出身で「手話の父」とも呼ばれた高橋潔さんと大曾根源助さん。ともに東北学院で学んだあと、大阪市立聾啞学校に教員として就職し、日本の手話教育の普及に大きく貢献しました。

東北学院史資料センター 安部茂徳課長補佐:
「高橋潔は音楽を勉強するために海外に留学したいと考えていたが、本学の第二代院長のシュネイダーからボーイは外国に行かないで日本で幸せの少ない人のために尽くしなさいと言われ大阪のろう学校に就職した」

かつて手話が口話学習の妨げになると言われていた時代。高橋さんは、大曾根さんらと手話の大切さを守り、そして、言語といわれるまでの基礎を築きました。
その一つが日本語の50音を指の形や動きで表現し手話の補助的な役割を果たす「指文字」です。

東北学院史資料センター 安部茂徳課長補佐:
「ヘレンケラーと面会をして、そこで日本に戻ったら日本独自の指文字を作ってくださいとアドバイスされ日本に戻ってから大曾根式指文字を開発した」














