息子たちをどうか導いて

巣鴨版画集より 夜のスガモプリズン

生家の両親に遺書を書くこと約1時間、すでに時刻は午後8時30分だ。松雄は兄弟たちへ別れの言葉を綴る。妻ミツコと幼い息子二人、孝一、孝幸のことを案じている。

<藤中松雄の遺書 兄弟姉妹へ 1950年4月6日>
遺書
懐かしい、満、静夫兄さん、〇〇、〇〇君、〇〇エ、〇〇エ、〇〇エ、〇〇子さん、色々御世話になりましたね。これからも、光子、孝一、孝幸が御世話になる事と思いますが、光子を妹だと思い、姉と思い、そして孝一、孝幸は子と思い、弟と思い、どうか導いて下さい。兄弟の事なんかも日記に書いておりますから、もし届いたら皆んなで読み、兄弟妹仲良く、父母上様に松夫の分まで孝養をお願い致します。

〇〇エ、〇〇ノ、〇子姉さんや〇〇エさん、〇子、〇子、〇〇ちゃんにもよろしく。一人一人書きたいのですが察してください。それから静夫兄さんにお願いしたいのですが、手紙頂戴して出せなかった分は日記に記しておりますから、それぞれ写して送ってください。


このあと、松雄は妻・ミツコの妹夫婦に「いよいよのお別れ」と書いた後、便箋一枚を使って、辞世の句を書いた。