プロを夢見る選手たちにとって“運命の一日”、プロ野球ドラフト会議が23日に開催される。球界のレジェンド、イチロー氏(52)と松井秀喜氏(51)も、34年前と33年前のドラフト会議でそれぞれ、夢への切符を手にした。「結果を出さないと指名されない」と危機感を抱いていたというイチロー氏と、「いけるだろう」と考えていた松井氏。全く違う道のりを歩んできた2人が、ドラフト会議を迎える当時の心境を語った。

レジェンド2人が“プロ”を意識し始めたきっかけ

松井秀喜:(高校)2年生になったぐらいに、練習にプロスカウトが来てたりとか、たまに大会で活躍するとスカウトのコメントとかが新聞に出たりして、そういうのを見て「もしかして」っていうのが少しずつ芽生えてきた。

イチロー:それまではもう全然?

松井:本当に全然プロは考えてなかったですね。

イチロー:僕なんかこんな身体のくせして、プロしか考えてなかったから、面白いなって思って。

松井:高校に入る時の出発点は、多分僕とイチローさんは違うと思いますね。

イチロー:そうだね。僕はもう完全にプロをターゲットにして、ここ(愛工大名電)を選んでるんで、面白いね。

Q.高校最後の3年の夏の大会というのは、プロを意識した上でどんなアプローチとか、 どんなアピールをしなきゃいけないとか、最後の夏は、どんな記憶ですか。

イチロー:高校3年の夏は、「そこで結果を出さないと僕はプロにおそらく指名されない、ドラフトにかからない」という危機感はあったんで。その直前の春ぐらいから練習はそこそこやり始めたっていうのはあったのね。愛知県なんで当時シードはないから、(甲子園に出場するためには)8回勝たないといけない。でもそれだけチャンスがあるということでもあったんで、ここで打ちまくれば、ドラフトにかかるかもしれない。それで、無理なのはわかってるんだけど、「全打席でヒットを打つ」っていう目標を掲げてた。すごい本気で目標にしてて、 そしたら準決勝までは本当に1試合1打席しか凡退しなかった。それがずっと続いて、26打数18安打とかそんな感じで準決勝までいって。これでかからなかったら、もうしょうがないっていう結果だったんだよね。

松井:それ以上はちょっと厳しいですよね。だって(打率)6割、7割ぐらいですもんね?

イチロー:7割超えてたの(笑)謎の数字が出てくるわけ。当時の映像を見てると。

Q.松井さんは、プロを意識した上での3年の夏はどんな思いが?

松井:プロという意識はなかった。「いけるだろう」という意識はありましたけど。まだ進路自体決めてなかったんですよ、その時点で。だからとりあえず最後まで高校野球をちゃんとやって、ぐらいの軽いイメージでした(笑)

語り合うイチロー氏と松井秀喜氏

イチロー:これはもうエリートの考え方ですよ。だって、結果を出さなくてもプロには必ず、ね。どうしても結果を出さなきゃいけないって追い詰められてる僕みたいな状態とは全く違うわけなので。

松井:すいません(笑)でも、もしプロっていうことになってても、そういう感覚にはなってなかった。プロ意識のプレーはしてなかったですね。

Q.あの(5打席連続)敬遠で最後終わったっていうのは、プロから見たらどう映ったのかなって想像しますか?

松井:いやそれはわかんないですね、スカウトがそれをどう判断したかっていうのは。 ただ長嶋(茂雄)さんがその試合を見てて、黙って一塁に5回走る姿を見て「この選手ほしい」って思ってくれたらしいです。でもそのとき長嶋さんはまだ監督じゃなかったんで 。本当は、違う選手を球団は1位指名する予定だったんですけど、長嶋さんが(その後、秋に)就任して、「巨人は松井でいく」って変えてくださったみたいです。

イチロー:それはなかなか聞かない話だね。プレーじゃなくて、そのあとの態度を見て。そりゃすごい話だね。

Q.松井さんはそのことをいつ知ったんですか。

松井:巨人に入ったあとですよ。直接聞いたわけじゃなくてなんかで見ましたね。

イチロー:いやそれはいい話だね。僕はプレーの後の対応をすごく大事にしてるタイプだから、良い結果も悪い結果も。野球って、こういう寮生活も含めて、団体生活の中で、 人格をさらけ出すところがあるじゃん。プレーの後のその姿を見てたら、こういう人間なんだろうなっていうのが何となく見える。人格を形成するもの、 作る場所でもあるけど、それをさらけ出す場所でもあるから、それって隠せないものなので、 今の話すごい好きだ。