「生きていてよかった」55年の時を超え 9000kmの距離を超えた"再会”
それから3カ月、マルリーズさんとつながることはできたのか――。
自宅を尋ねると、AI翻訳を駆使してメールを書いている山本さんの姿がありました。アルバムがマルリーズさんに届いたのです。
山本さんの願いは、55年越しに叶いました。さらに、マルリーズさんから返事が届き、二人は文通を始めていました。やり取りは、もう2か月以上続いています。
(マルリーズさんのメール)「親愛なる山本様、素敵な写真と和菓子のプレゼントをいただきました。面白く予想外だった6か月、たくさんの思い出が1970年のスイスパビリオンにはあります。残念ながら、私や当時働いていた友人たちはもう訪れることはできません。あまりにも遠く、長旅で私ももう飛行機に乗れなくなってしまいました」
(山本龍彦さんのメール)「マルリーズさんへ、思いもよらないつながりでマルリーズさんに写真をお渡しできて幸せです。私ももうスイスまで行く体力はありません」
マルリーズさんからは当時の写真も届きました。
(マルリーズさんのメール)「私の写真で1970年を思い出してください。万博が終わったあと日本を旅して九州へ行って、長崎や広島も訪れました。原爆の恐ろしさに心が震えたのを覚えています。日本の美しさは、私にとっての癒しになりました」
55年前の写真とともに最近撮った笑顔の写真も添えられていました。
今はひとり、チューリッヒで暮らしているマルリーズさん。電話でこの“再会”への思いを取材班に話してくれました。
(マルリーズさん)「驚いたのは、彼が私を探して、見つけ出したことです。奇跡ですよね?これから、お互いにどんな人生を送ってきたか、語り合うつもりです。私はいま81歳、彼は多少若く、家族がいて仕事もしてきて、いま意見の交換ができるのはすばらしいことです」
国が違うからこそ知り合えた喜び、つながりが今なお人生を照らしてくれる。55年ぶりの万博が教えてくれました。
(山本龍彦さん)「この歳になって外国の人と、それも9000km離れた国の人と友達になれたのがウソみたいで、すごくうれしい、ウキウキしています。生きていて良かった――。今回、つくづく思いました。会うべくして会っている。人と人とのつながりに偶然はないね」
(2025年10月13日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)